日本のすばらしい建築物

日本に現存するすばらしい建築物を紹介するブログ

木造モダニズム建築の傑作「前川國男邸」

こんにちは、ニュースレター作成代行センターの木曽です。

 

戦時統制下につくられた木造モダニズム建築の傑作と言われているのが、

前川國男の自邸です。

 

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前川國男は昭和戦前から戦後にかけて、日本の現代建築の発展に大きく貢献した建築家で、日本モダニズム建築の旗手と言わています。

 

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そもそも、建築界においてのモダニズムとは、どういったものでしょうか。
そして、新潟出身である前川の建築思想がどのように育んでいったのでしょうか。

 

モダニズムと呼ばれる建築デザインは、20世紀初頭から1960年代までの間、世界的スケールで展開され、それが現代の生活空間の骨格を形づくったと言えます。


そこには、産業革命によって急速に進んだ建築の工業化という背景があります。

 

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産業革命時期の工場の様子

 

建築家たちは、都市の環境悪化や住宅問題を解決しようと、形骸化したデザインをそぎ落とし、装飾を排し、建築を工業化することによって、新しい時代にふさわしい簡素で合理的な建築の実現をめざしました。


その中心にいたのが、モダニズム史上もっとも重要な建築家と言われるフランスのル・コルビュジェです。

 

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ル・コルビュジェ


そして、戦前の1928年から2年間、彼に日本人として最初に学び、その思想と方法を日本に定着させることを生涯のテーマとしたのが、前川國男でした。

 

コルビュジェはスイスで生まれ、フランスで主に活躍したモダニズムを牽引する世界的リーダーであり天才建築家です。

 

フランク・ロイド・ライト、およびミース・ファン・デル・ローエと共に近代建築の3大巨匠として位置づけられています。

 

20世紀最高の建築の一つ、コルビュジェの「サヴォア邸」は、パリ郊外に設計した近代住宅です。

 

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サヴォア邸 (1931年竣工)

 

彼が提唱した近代建築の5原則(ピロティ、屋上庭園、自由な平面、水平連続窓、自由な立面)が、実現された歴史的な住宅として知られています。

 

また、日本テレビの『美の巨人たち』にて「フィルミニの教会堂」が特集されていました。


こちらはフランス中部の街に残された建物で、コンクリートで固められた外観は奇妙なフォルムで内部は天井から柔らかな光が差し込み、壁は緩やかな傾斜を保ちながら高みへと昇って行く意匠となっています。

 

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フィルミニにある教会堂として知られるサンーピエール教会(2006年竣工)

 

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 サンーピエール教会:内部

 

1965年のコルビュジェ没後に教会以外の作品は竣工され、教会は財政的事情により1978年に三階部分までの建設で中止となります。

 

しかし、この教会の価値の高さが評価され、観光資源になる等の理由で2006年11月に、サンピエール教会は計画の開始の46年後(ル・コルビュジェの没後41年後)に竣工するに至りました。

 

コルビュジェと國男の出会いは、当時、新進気鋭の建築家だったコルビュジエを國男が知り、いてもたってもいられなくなり、昭和3年3月に東京帝大(現在の東大)の工学部建築学科を卒業後、単身フランスに渡り、コルビュジェの事務所を訪れたことに始まります。

 

コルビュジの事務所で働いていた時には、互いを「コル」「クニ」と呼び合う仲だったそうです。

 

伝説として、こういう話が語られています。

「卒業式の夜に、東京を発ち、パリに向かって対ソ干渉戦争冷めやらぬ荒野のソ連をシベリア鉄道にて走った。その当時のモスクワは雪に埋もれて復活祭の鐘がなりひびき、ポーランドは吹雪に鎖されていた。しかしパリは繚乱の花盛りであり、セーブル街35番地のコルビュジェのアトリエにやっとはじめてたどり着いた」

 

コルビュジェは、当時42歳。

 

その当時のコルビジェはまだ「建築界最大の巨人」だったわけではありませんが、彼の建築が、世界的に注目し始めた時期であり、國男が、そうした20世紀の近代建築の最前線というべき場所で過ごした2年はどれだけすばらしいものだったでしょうか。

 

その後、1930年に日本へ帰国しますが、その頃の日本は世界恐慌の余波を受け不況が続いていました。

 

最初はなかなか仕事先が見つからず、建築家を断念しそうになりましたが、幸いなことにアントニン・レーモンドが東京に開いた事務所に勤めるようになります。


そして独立前の5年間を過ごすこととなりました。

 

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アントニン・レーモンド

 

アントニン・レーモンドは日本人建築家に大きな影響を与えた建築家でフランク・ロイド・ライトのもとで学び、その影響を強く受け、その後、独自のスタイルを確立させ、モダニズム建築の最先端の作品を生み出しました。

 

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群馬音楽センター:外観

 

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群馬音楽センター:内部

 

レーモンドは風土や季節の移ろいに敏感な日本特有の感性を、住居内に居心地の良い小空間を設けることで見事に具体化させました。

 

1935年に自らの事務所を設立した國男は、50年に及ぶ活動を通して、200を超える建物の設計を手がけ、戦前戦後の日本のモダニズムをリードした建築家として知られるようになります。

 

 國男が27歳の作品で、実質的な第一号(処女作)は木村産業研究所です。

 

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木村産業研究所:外観 

 

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 木村産業研究所:内部

 

彼が学んだコルビュジエの考え方をともかく日本で実現させてみよう、とする意気込みがあったと想像できます。


装飾のない真っ白な外観と連続窓、柱で支えられたピロティ。


最先端のモダニズムのデザインが施された建物です。

 

私どもが住む岡山にも、國男の作品は何点かあります。


代表的なものは、岡山県庁舎でしょう。

 

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岡山県庁舎:外観1

 

本庁舎は地上9階・地下2階の鉄骨鉄筋コンクリート造、水平な窓が並ぶモダニズム建築と、長さが東西約150mに及んでいる長大なファサードが圧巻です。


4階から上はアルミパネルとサッシュを組み合わせたカーテンウォール。
1950年代の傑作です。

 

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岡山県庁舎:外観2

築50年以上になる本庁舎は震度6以上の大地震の際には庁舎が崩壊する見込みであることから、現在、耐震改修事業が計画されています。

 

さて、それでは、現在江戸東京たてもの園内に移築されている前川國男邸をご紹介します。

 

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表札

 

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外観

 

この自邸は、國男の設計事務所の初期の作品であり、1942年(昭和17年)に竣工しました。


戦時中の統制状況のなかにあって生まれた木像モダニズムの傑作です。


物資の無い中で、限られた建築資材と建坪100㎡以下という制限の中で建てられました。


当初は独身であった前川の住宅として使用され、昭和20年に空襲で前川の事務所焼失後は、ここが事務所となり、また終戦直後に前川が結婚してからは夫婦の住処となります。

 

昭和29年に事務所が移転するまで、この比較的手狭な場所が、アトリエ兼新婚の住宅として使用されました。


その後、昭和48年に解体され、軽井沢の別荘に保存されていた部材をもとに、平成8年、江戸東京たてもの園に移築、公開されました。

 

外壁は建板張りと伝統的な仕様をもちますが、幾何学的な格子窓や灯り障子などの要素は、きわまて大胆に大きく配置され、まさにモダニズムの造形です。


内側の居間は、中央吹き抜けとなっていて、ガラス格子戸の窓から外光が室内に充満し、開放感にあふれています。

 

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窓側から

 

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居間

 

吹き抜けの居間の上部はロフト状の2階で、この居間とロフトをつなぐ階段も空間上のアクセントとなっています。


この張り出しなどによって変化に富んだ空間が表現されています。

 

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階段とロフト

 

また白を基調とした台所や黒とアイボリーの小口タイルを張った浴室は、まるで現代芸術のアート作品のようなモダンな場所となっています。


シンプルで、いかにも衛生的で、近代的な生活空間です。60年以上前の建物とは驚きです。

 

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浴槽とトイレ

 

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トイレ

 

寝室や書斎などに見られる雨戸、ガラス戸、明かり障子は、あえて窓枠に戸当たりをつけてボックス状に窓を納めることで、日本の伝統建築にありがちな線の煩雑さを避けるなど、一見、伝統的な木造建築ながら、幾何学的かつ、抽象度を高めるさまざまな工夫が見られます。

 

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寝室

 

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書斎

 

前川國男邸は、幾何学的で、動感にあふれた空間を木造で実現した、日本特有の木造モダニズムと言えます。


やがて戦後の復興期から始まるモダニズム建築の基礎を作りあげた、実験的な空間操作は日本建築に大きな影響を与えました。


当時の木造モダニズム建築がほどんど失われた現代では、この自邸は大変価値があるでしょう。