こんにちは、ニュースレター作成代行センターの木曽です。
今回のすばらしい建築物は、横浜にある「外交官の家(旧内田家住宅)」です。
外交官の家は、ニューヨーク総領事やトルコ特命全権大使などをつとめた明治政府の外交官内田定槌氏の邸宅として、東京渋谷の南平台に明治43(1910)年に建てられました。
設計者はJ.M.ガーディナーです。
J・M・ガーディナーという人は、ウィリアムズ主教が開校した立教学校の教師を務めながら学校の設備拡充にも尽力、ガーディナーはその第3代目校長にも就任してます。
立教学校は現在の立教大学の元になる私塾ですが、当時は聖書と英学を学ぶ場所でした。
立教学校は明治16年に立教大学校(St.Paul's College)という、アメリカのカレッジスタイルの組織をもった学校を設立します。
これが、立教大学の前身です。当時、授業は全て原書で行われていたようです。
ガーディナーは初代校長に就任します。
建築学の素養のあったガーディナーは1891年(明治24年)には校長職を離れ、建築家としての活動を開始、各地の教会をはじめとしてさまざまな建築を手がけています。
ガーディナーは敬虔なキリスト教信者でした。
米国聖公会によって日本に派遣されたのが若干23歳という若さでした。
ガーディナーは日本をとても気にいっていたので、多くの作品を日本に残しているだろうと推測されています。
しかし現在ガーディナーの作品だと判明しているのは40棟ほどで、現存している建物はというと、10棟もないようです。
多くの建物や貴重な資料等は関東大震災によって失われました。
外交官の家は、ガーディナー作品の貴重な遺産です。
当時の日本人住宅としては珍しい徹底した洋風化が図られた西洋館です。
建物は木造2階建てで塔屋がつき、天然ストレート葺きの屋根、下見板張りの外壁で、華やかな装飾が特徴のアメリカン・ヴィクトリアンの影響を色濃く残しています。
詳細はこちらも参照ください。
平成9年に横浜市が寄贈を受け、山手イタリア山庭園に移築復元し、一般公開しました。
同年、国の重要文化財に指定されました。
室内は1階に食堂や大小の客間など重厚な部屋が、2階には寝室や書斎など生活感あふれる部屋が並んでいます。
建物内部は無料で公開され、一階部分から二階部分まで自由に見学することができます。
館内にはガーディナーの建築や内田定槌に関する資料なども展示されて、それらをゆっくりと見てゆくのも楽しいと思います。
ガーディナーには3人の娘がいましたが、名前をアーネスティン、ハスノハナ、リリアンと言いました。
家族そろった写真は「外交官の家」に展示されています。
自宅は東京市内にありましたが、来日した翌年の夏にはじめて行った日光がとても気に入っていたようで、明治43年頃には輪王寺構内の下赤門に和風の別荘まで建てています。
後に妻となったフロレンスと出逢ったのも日光だったようです。
明治20年頃から毎年、日光を訪問したと言います。
ガーディナーは、最初に赴任した築地にある東京聖路加病院で大正14年に亡くなりました。
享年68歳でした。
そして、大好きだった日光に自ら設計した真光教会の聖書台の足下の床下に妻のフロレンスまもちろん、娘・孫・愛犬と共に遺骨が埋められているそうです。