こんにちは、ニュースレター作成代行センターの木曽です。
神奈川県南部の藤沢市街中心部にある藤沢市民会館と秩父宮記念体育館の前庭の緑のなかに、軒の低い住宅風の建物がひっそりと建っています。
この建物はもともと関東大震災の直後の大正14年(1925)、横浜の実業家、近藤賢二が藤沢市辻堂東海岸の松林、敷地3000坪の中に別荘(1階173㎡、2階27㎡)として建てたものです。
近藤賢二没後、所有者が代わり、老朽化のため取り壊されるところでしたが、保存を望む市民、建築家の運動が実り、市によって移築保存が決まり、昭和56年(1981)に市民会館・秩父宮体育館前の現在の場所に移築されたものでした。
当時の和洋折衷の代表的な建物といわれています。
旧近藤邸を設計した遠藤新は、1914年(大正3年)に帝国大学を卒業後、帝国ホテル(旧館)の設計で知られるアメリカの建築家フランク・ロイド・ライトに6年間師事し、その思想を学ぶと同時に、日本の生活と風土に合わせた独特の様式を編み出しました。
常に建築と人間との調和を考え、西欧の模倣ではない「真の日本の住宅」を追い求めた遠藤新の精神を、旧近藤邸の随所に読みとることができます。
<遠藤新>
建物の構造は、木造平屋建ての一部2階建てで、南北に長い棟と東西に長い棟の2棟をT字型につないでいるので、どこからも横長に見えます。
軒を低く抑え、軒先がつくる水平のラインを強調したデザインで、屋根が勾配を
抑えた棟の低い寄棟造りなので、近づくと屋根面が軒先に隠れて、さらに水平の
ラインが強調される仕掛けになっています。
こうしたデザインは、フランク・ロイド・ライトが自らプレイリースタイル(草原様式 Prairie Style)と称し、1890年代から1910年代にかけてシカゴ周辺で盛んに設計した住宅と共通しています。
<フランク・ロイド・ライト>
深い庇(ひさし)や低い屋根のラインによる水平性の強調がアメリカの大草原にふさわしい建築形態であることからプレイリースタイルと呼ばれています。
<シカゴの住宅・プレイリースタイルの代表作ロビー邸>
近藤が別邸の用地として購入した松林は3000坪もあったので、遠藤にはまさにプレイリースタイルにうってつけの敷地だったのかもしれません。
内部は、玄関を入ると右手の大居間兼食堂(16畳程の広さ)に圧倒されます。
近藤には11人も子供が居たのでこの広さが必要だったのでしょう。
この部屋のポイントは暖炉で、移築にあたり苦労したようですが、現在でも燃える暖炉として復元使用されています。
大谷石を幾何学的に組み合わせたライト風デザインの大きな暖炉です。
居間兼食堂以外の居室はすべて畳敷の部屋で、床の間風の空間があったり、長押(なげし)のような部材を壁にまわしたりするなど、和風の要素がうまくデザインに取り込まれています。
<長押(なげし)とは?>
長押(なげし)とは、日本建築に見られる部材で、柱を水平方向につなぐもの。
鴨居の上から被せたり、柱間を渡せたりするように壁に沿って取り付けられる。
建具の統一された幾何学的なデザインは、まさにライト風ですが、市松模様や連子窓といった日本の伝統的なデザインにも通じるので、畳の空間と実によく馴染んでいます。
旧近藤邸は日本の家の歴史の中で、洋館の進化の上にありながら、同時に和風建築の新しい方向性を示した、画期的な住宅建築といえるのではないでしょうか。