こんにちは、ニュースレター作成代行センターの木曽です。
今回のすばらしい建築物は、「旧小笠原長幹邸」です。
都営大江戸線「若松河田」駅、徒歩1分と交通アクセス 抜群でありながら、閑静な街並みに囲まれた新宿・河田町。
新宿区河田町は、町域の大半を東京女子医科大学および付属研究機関が占めるエリアです。
そんなエリアの一角に、広大な敷地に建築面積1100㎡を誇る建物が旧小笠原邸です。
小笠原長幹(1885-1935)は、旧小倉藩主(現在の北九州市)の小笠原忠枕の子息で、明治18年東京に生まれました。
学習院大学卒業後、ケンブリッジ大学に留学し、式部官などを経て貴族院議員、陸軍参事官、国勢院総裁を歴任しました。
ちなみに小笠原家は、小笠原流で知られる礼儀作法をおこした家系でもあります。
その伝統的な家系を継ぐ長幹が、洋館中心の住まいを建てたのが実にユニークです。
設計は当時最盛期を迎えていた曾根中條建築事務所(明治41年~昭和12年)。
曾禰達三(1852-1937)
その創設者の一人である曾禰達三は工部大学校の一期生で、辰野金吾、片山東熊らとともにジョサイア・コンドルの一番弟子にあたります。
ジョサイア・コンドル 辰野金吾 片山東熊
東京海上ビルディング、郵船ビルディングなど数多くの事務所建築を設計して名を馳せたが、事務所の建て替えなどで多くの作品は失われました。
現存する代表作には小笠原邸のほか、慶応大学の図書館、旧鹿児島県庁舎などがあります。
旧鹿児島県庁舎
小笠原邸を手がけたのは、曾禰の出身である旧唐津藩の藩主が小笠原家と婚姻関係にあったことが関係しているといわれています。
小笠原邸は鉄筋コンクリート造り平屋建て(一部2階建て)です。
当時最新の技術だった鉄筋コンクリート造りとしたのは、建て主の意向によるもので、明治期に建てた旧小笠原家の建物が震災で倒壊したため、とりわけ耐震性が求められたといいます。
ちなみに壁の厚さは20㎝と、現在の耐震基準からみても頑丈な建物となっています。
窓には鉄格子の飾りが施され、中庭を囲むロの字型のプランは、日本に希少な完成度の高いスパニッシュ建築と言われています。
スパニッシュはアメリカを経由して、大正末期から昭和初期にかけて大流行した様式です。
小笠原邸に見るスパニッシュの特徴
1.外観のクリーム色の洗い出しを粗く仕上げ、手仕事の後を見せている。
2.開口を小さくし、鉄格子をはめている。
3.屋根に青色の円筒型の瓦を交互に組み合わせたスパニッシュ瓦を葺いている。
などが挙げられます。
また、軒の出を浅くする本流のスパニッシュに比べて、日本の多くのスパニッシュは雨の多い気候にあわせて軒の出を深くしがちですが、ここはそれをしていないので正統派といえます。
さらに、パティオと称する中庭を設けることや、中庭に面してアーチ型開口部が並ぶのもスパニッシュの特徴です。
外観上の見所は、背面側の円筒状に張り出した喫煙室の外壁で、テラコッタの色タイルで賑やかに装飾されています。
オウムやトンボ、葡萄、太陽などが唐草のあいだを漂うさまはいかにも楽しげ。
色タイルを外壁の飾りに使うのはイスラムの伝統です。
そして、その足元には陶板製の定礎銘板がはめ込まれ、
“Sone & Chujo,ARCHITECTS.1926.AD"と記されています。
定礎板に設計事務所の名前を入れるのは、欧米では当たり前だが日本では珍しいです。
これは、設計者の自信の程があらわれたものでしょうか。
当時の芸術の粋が結集した邸宅ができたのは、施主である小笠原伯爵の豊富な海外経験からくるモダンな生活や、朝倉文夫に師事し彫塑に堪能だった芸術に対する造詣の深さや、それに応えることのできる建築家の手腕による所が大きいと思われます。
建築家の曾根達蔵にとって小笠原家は建築家になる前、武士だった頃の主君につながる一族であり、施主と建築家の深い信頼関係が、構築された建築物ではないでしょうか。