日本のすばらしい建築物

日本に現存するすばらしい建築物を紹介するブログ

堀口捨己の第1作目の作品 「小出邸」

 こんにちは、ニュースレター作成代行センターの木曽です。

 

今回のすばらしい建築物は、「小出邸」です。

 

小出邸が建てられた文京区西片町は、本郷にある東京大学のすぐそばに位置し、明治のころから有数の住宅地でした。

 

f:id:sumai01:20140528133202j:plain

子供の独立等で家族の減った小出氏が、夫婦で静かに住むために大正14年(1925年)に文京区西片2丁目に建てられた住宅です。

 

もともとは、町全域が旧福山藩の中屋敷だったところに、明治移行、旧福山藩主の阿部家が住宅地開発に取り組み、下水道設備から公園設備、ついには小学校まで開設しました。

 

f:id:sumai01:20140528132312j:plain

※誠之は、福山藩主であり老中首座であった阿部正弘公の考えで「誠者天之道也。誠之者人之道也」(誠は天の道なり。之を誠にするは人の道なり)に由来しています。

 

西片の街は、夏目漱石をはじめ高山樗牛、長岡半太郎、木下杢太郎など東京帝大の先生たちが数多く住んだ、「学者の街」としても有名です。


建て主である小出収(1865-1945)は、石見国(現在の島根県)の浜田藩士、小出昇の長男として生まれました。

 

県立師範学校、慶應義塾と進み主席で卒業。

 

山陽新報記者、信濃毎日新聞主筆などジャーナリストとして活躍したのち、実業界に転じます。

 

三井銀行、富岡製糸所所長、名古屋製糸所所長、王子製紙支配人と、当時の三井財閥のあらゆいる業種の経営に携わり、その後も千代田生命大阪支部長、東京信託支配人など、とにかくさまざまな会社の経営に関わっています。

 

 小出の妻の弟が美術史家の丸尾彰三郎で、堀口と友人だったからという理由で、堀口捨己(1895-1984)に自宅の設計を頼んだそうです。

 

堀口氏は、東京帝国大学建築学科出身。

 

f:id:sumai01:20140528145919j:plain

大正9年の卒業直前から同窓の山田守らと、過去の歴史的な様相や装飾からの分離を宣言し、分離派建築会を結成しました。

 

当時ヨーロッパでは、過去の歴史様式を否定するモダニズム運動がおこりつつあり、分離派はその日本版を目指しました。

 

堀口氏も、ヨーロッパに留学した際に当時の最新のモダニズムに傾倒し、帰国後はそれらの新らしいデザインに日本の伝統的な意匠を融合させたような作品を生み出しました。

 

f:id:sumai01:20140528145939j:plain

※紫烟荘 1926年完成

 

しかし戦後は、むしろ伝統的な和風建築の大家として活躍し、日本建築学会賞、芸術院賞、紫綬褒章などを受賞しました。

 

代表先に明治大学の校舎群、八勝館御幸の間、サンパウロ日本館などがあります。

 

f:id:sumai01:20140528150157j:plain

※八勝館御幸の間

 

小出邸は大正14年の建築で木造2階建て、桟瓦葺き。

 

f:id:sumai01:20140528134204g:plain

外観の特徴はなんといっても、ピラミッドを思わせる大きな方形の屋根と、それに切り込むようにささるシャープな軒の水平線です。

f:id:sumai01:20140528134302j:plain


内外に見られる水平線と垂直線、突然現れるカラフルな色彩は、オランダのモダニズム運動であるデ・スティルの影響が強くでています。

 

堀口は留学時にデ・スティルの中心人物であるJ・アウト(ヤコーブス・ヨハネス・ピーター・アウト)に会い、直接的な指導も受けたといいます。

f:id:sumai01:20140528140136j:plain

 J・アウトは、オランダの建築家で住宅地・集合住宅の設計で名高い。

 

デ・ステイルの初期メンバーで、この会の設立に参加した一員であったと同時に、このグループの建築理論の開拓者であり、その後オランダおよび同国の範囲をはるかに超えた建築におけるノイエ・ザッハリッヒカイト(新即物主義)の草分けとなった人物の一人でもありました。

f:id:sumai01:20140528140152j:plain

アウトが設計したギャラリー・ハウス

 

このような造形は直線と円形の開口で構成された玄関のデザインにもよくあらわれています。

 

f:id:sumai01:20140528142716j:plain

このように玄関のデザインはモダニズムの影響を受けた幾何学的なものですが、近づいて細部をよく見てみると、柱には手斧による荒々しいはつりがあり、モダニズム建築のすっきりとした様子とは異なっていることに気がつきます。

 

玄関ホールもまた、木部の要所は手斧はつりで仕上げられていて、新しい空間づくりのなかにも伝統的な技法が見受けられます。

f:id:sumai01:20140528143118j:plain


一番の見所は玄関左手にある応接室。

 

四方の壁に取りつけられた縦材が伸びるように天井で交差し、部屋全体が抽象的な立体空間として表現されています。

 

f:id:sumai01:20140528144338j:plain

吊棚のある一隅の壁面と天井面は銀紙の揉み張り、そのほかは無地の紙張りになっています。

 

このような、直線で構成された抽象的な表現は、デ・スティルの一人であった画家モンドリアンの抽象画のようです。

 

f:id:sumai01:20140528145010j:plain


また、この部屋には、堀口の手による深紅の家具も復元されていて、銀の壁紙に紅が写り込んで、妖艶な雰囲気を漂わせています。

 

まさに前のめりに新しさを追求した空間だといえます。


こうした前衛的な意匠の部屋がある一方、玄関を右手に入った部屋は漆喰の壁に、床、腰を板張り、天井を格天井とした一般的な洋室です。

 

また、1階の寝室は和室で、押入れの扉位置を左右、上下自由に分割してモンドリアン風に見せるところが面白いです。

f:id:sumai01:20140528145404j:plain

美の20世紀〈8〉モンドリアン (美の20世紀 8)


2階は書院造の和室ですが、床の間まわりの構成が独特です。

 

正面左に床の間を置き、その右は伝統形式だと棚を設けますが、ここでは押し入れになっていて、その押入れに続いて棚ならぬ天袋、地袋のあいだに何もない場所がきます。

 

f:id:sumai01:20140528145525j:plain

ところが右の押入れには造り付けの棚があり、三段を自由な高さに配してデザインを凝らすという、型通りとはしないという意気込みが感じられます。


小出邸は、比較的小さな建物ではありますが、建物全体に若き前衛デザイナーの意欲がほとばしる逸品です。