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日本のすばらしい建築物

日本に現存するすばらしい建築物を紹介するブログ

ブラフ18番館

こんにちは、ニュースレター作成代行センターの木曽です。

 

ブラフ18番館は、関東大震災後に山手町45―1番地に建てられた外国住宅です。

この建物は、山手イタリア山庭園の一画に1993年に移築復元されました。

 

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ちなみにブラフ18番館という名前の由来ですが、現在の建物が建つ場所が旧山手18番地に位置することと、横浜山手が外人居留地だったころに、山手地区をブラフ"The Bluff"=「切り立った岬」と呼んだことにちなんでいます。

 

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ブラフホテル:明治期の絵葉書より

デンマーク人 C.ペーターセンが明治36年頃開業したブラフ(山手2番)に建っていたホテル。

 

ブラフ18番館ですが、残念ながら建物の設計者や竣工年などはわかっていません。


しかし、建て主については、震災前の大正10年から震災翌年まで、貿易商のV・R・バウデンがこの土地を所有していたことから、おそらく彼が震災後にこの洋館を建てたものと考えれらています。


バウデンは関東大震災の1年3ヶ月後にはブラフ18番館となった建物を手放し母国に帰国してしまいました。


せっかく、再建した家に、ほんの1年ほどしか住まないで、帰国しなければならなかったのは寂しく感じます。


そして、この帰国により、正確な竣工年や設計者施工者が誰であったかなどの記録が失われてしまったとも言えるでしょう。

 

バウデンはオーストラリアのシドニー生まれで、横浜貿易業界の重鎮であり、外国人社交界の中心人物でした。


大正13年にバウデンが手放してから、何人かの手に渡りましたが、戦後はカトリック山手教会の司祭館として平成3年まで使用されました。


その後、横浜市により、山手イタリア山庭園内に移築復元されました。

 

 

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正面

 

建物は、木造2階建てです。

 

外観は震災の経験を活かし、防火を顧慮したモルタルを吹き付けたスタッコ仕上げとなっています。


外観の正面は中央にベイウィンドウが設けられていて、1、2階の間にまわされる幅の広い緑色のボーダーがアクセントになっています。

 

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ベイウィンドウ

 

白いドイツ壁に、緑色に塗られた鎧戸の対比が美しく、屋根の赤茶色のフランス瓦が愛らしい姿を引き立てています。


まるで、絵本の中に出てくる家のようです。

 

ドイツ壁(モルタル掃き付け仕上げ)とはヨーロッパの伝統的な技法で、鍾乳洞の壁のようにボコボコした風合いが特徴です。

 

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ドイツ壁:日本でも古い洋館に見受けられますが、現代ではほとんど見かけない技法になってしまいました。

やり方としては鏝板(コテイタ)に材料を乗せて、その上から竹を切った“ササラ”という刷毛(はけ)で掃き付けたものです。

 

玄関ポーチの上がバルコニーになっていて、また側面の外観も、正面同様にベイウィンドウが張り出しています。

 

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側面:ベイウィンドウ

 

背面は、1階の全幅を開口としていて、緑の窓枠が印象的なサンルームとなっています。
そして、2階は矩形の開口が並ぶバルコニーです。

 

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裏側:1階サンルーム、2階バルコニー

 

ブラフ18番館は、比較的小さい建物ながらも、ベイウィンドウを各面に張り出したり、バルコニーを設けることで壁面を後退させたりと、とても変化に富んだ外観づくりがなされています。


全体的に、とてもかわいらしい演出がほどこされていて、重厚な洋館が多いなか、親しみやすい印象をもちます。

 

さて、 室内ですが、内装は各室とも共通していて、あっさりとしています。

 

板張りの床に、壁は幅木に漆喰(しっくい)仕上げです。

 

各室とも上部に繰形(くりかた)のない蛇腹(じゃばら)をまわし、天井は格縁(ごうぶち)や中心飾りを設けることもなく、全体を漆喰で塗りあげています。

 

玄関から入ると廊下があり、その周りに各室が並んでいます。

 

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廊下:中廊下の欄間(らんま)を飾るラティス状の斜め格子が面白いです

 

奥にはサロンと居間が並び、これらの部屋の奥がサンルームとなっています。


サンルームと居間の開口は大きく、明るい光が部屋の奥までやわらかく差し込みます。

 

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居間

 

 

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サロン:サロンからサンルームの開口は、開口の両脇も窓となっていて、装飾的になっています

 

また、サロンや居間には暖炉が背中合わせに据えられていて、これは煙突をひとつにまとめるための工夫になっています。


これらの、マントルピースは木製で、草花を描いた彫刻が施されていてシックな雰囲気です。

 

 

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マントルピース

 

玄関脇の階段室を介して食堂があります。


食堂には3連の上げ下げ窓によるベイウィンドウがあります。

 

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食堂

 

サンルームは、壁の白・窓枠の薄緑・外光の世界が広がり美しい印象です。


ゆったりとくつろげる空間となっていて、明るい光で満たされています。

 

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サンルーム

 

2階には3つの元寝室があります。


現在は、談話室や資料室などがあり、貸しスペースとして利用されています。

 

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談話室:奥のドアの外はバルコニーになっていて、その下はサンルームとなっています。

 

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閲覧室

 

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資料室:食堂の真上に位置します

 

全体的に簡素な内装ながらも、細かい装飾的な要素がちりばめられています。


そして、サロンや、食堂はベイウィンドウが張り出しているので、単なる直方体の部屋ではないため、動きのある空間となっています。

 

また、ブラフ18番館の魅力は建物ばかりではありません。


室内の家具は、別の場所で使われたものを持ち込んだり、当時元町で制作されていた家具を復元したりして展示されています。


これらの家具のことを、『横浜家具』といい、ブラフ18番館が単なる建物の資料館ではなく、
震災復興期(大正末期~昭和初期)の居留地の外国人の暮らし方が感じとれる展示となっています。

 

横浜家具とは、横浜で作られる西欧風の木製の家具のことです。

 

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ホテルニューグランドの本館2階にある『横浜家具』

 

1858(安政5)年に横浜港が開港し、外国貿易の拠点となった横浜では、幕末の頃には、多くの欧米人が来日し、日本国内に住居を構えて居留するようになりました。


そして、彼らの生活様式にふさわしい洋家具が東洋の島国、日本でも必要となりました。


初めは、持ち込まれた家具の修理を地元の木工職人が請け負うようになり、やがてこれら海外の家具の修理を通して日本の木工職人が西欧風の家具の形状を知り、それを元に独自の作り方で西欧風の家具を製造するようになったのです。


また、中には、外国の建築家と手を取り合い、技術を高めていったものも現れました。

 

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椅子製造の様子

 

横浜家具の特長ですが、

 

①合板をなるべく使わず、無垢の木を主体として作ること。

 ②釘は補助的に使い、木と木の接合には「ほぞ接ぎ」という日本古来の手加工の技術を使うこと。

 ③そして、分業を行なわず、木の選択から仕上げまで一人の職人が全てを担当することです。

 

そのため傷がつけば削って、壊れても分解してその部分だけを取り替えて補修することができます。


また木の伸縮や木目の繋ぎ、歪みの微妙な調整など全体のバランスや細部にまで目が届き、丈夫で美しいものができるのが特長です。

 

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食器棚

 

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食堂:椅子

 

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サロン:椅子

 

他にも、館内には100年前のものである純国産の『松本ピアノ』があります。

 

松本ピアノ』は、「西川」「山葉」と並ぶ、国産ピアノ製造の先駆のひとつで、創業者は松本新吉という人物です。


1900年(明治33年)に単身で渡米し、半年ほどアメリカ・ニューヨークのブラッドベリーピアノ工場で研究生となります。


熱心でしかも忍耐強い人物であると、その当時のマネージャーは褒め称えていたそうです。


帰国後の松本ピアノはアメリカ修行の成果もあって品質には定評があり、当時は「見栄えの山葉、音質の松本」とまで評されていたそうです。「山葉」・・・現在の「ヤマハ楽器」

 

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松本ピアノ

 

全て国産の材料でピアノを作ることにこだわったといいます。


しかし、松本楽器も松本ピアノ製造株式会社も火災や関東大震災により工場を焼失したりと苦労は耐えなかったようです。


その後、長男にあとをまかせ、故郷の千葉で、1941年(昭和16年)に77歳でこの世を去りました。

 

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サンルーム:ライト

 

ブラフ18番館はフランス瓦の屋根、暖炉の煙突、ベイウィンドウ、上げ下げ窓と鎧戸、バルコニーとサンルームなど、震災前の外国人住宅の特長をそのまま受け継いでいます。


また、震災前に建築された旧住宅の一部が震災の倒壊と火災を免れ部材として使われているとのことです。

 

この館をつくらせた社交界の重鎮のバウデンは、再建されたこの建物で、きっと何度もパーティを開いたことでしょう。


この建物には、あらゆる場所に窓があり、窓を開ければ館内を風が吹き抜けます。


移築されたため、当時見えていた窓越しの風景も今とは違っていますが、どんな景色が見えていたでしょうか。


そんな想像を膨らましながら、明治以来の横浜山手の外国人住宅の様子を垣間見るのも楽しい建物です。