こんにちは、ニュースレター作成代行センターの木曽です。
青山学院の裏手に、戦火や大震災を乗り越えて現存する貴重な建物があります。
表参道や渋谷が目と鼻の先なのにもかかわらず、とても閑静な場所。
青山の一等地によくぞ残っていたと感動さえします。
この建物の特徴は、なんと言っても、日本では数少ないアール・デコ様式の建物です。
アール・デコ様式とは1910年代半ばから1930年代に流行したデザインのことです。
1925年にパリで開かれた「現代装飾・工業美術国際展」(アール・デコ展)以降「アール・デコ」の名称で呼ばれるようになりました。
エスプリ・ヌーボー館
それ以前はアール・ヌーボー様式(植物などを思わせる曲線を多用した有機的なデザイン)の時代でした。
富裕層向けの一点制作のものが中心となった凝りすぎるほど凝ったアール・ヌーヴォーのデザインに対し、繊細で流れるような線や簡潔でシンメトリーな線、反復性や幾何学的パターンや記号的表現などが特徴です。
自動車・飛行機や各種の工業製品、近代的都市生活といったものが生まれた時代への移り変わりに伴い、ヨーロッパおよびアメリカ合衆国(ニューヨーク)を中心に流行しました。
このアール・デコ様式は建物や室内装飾にも用いられるようになります。
そして、アメリカが大恐慌で経済力を一時的に失ったこともあり1935年以後は衰退していきます。
<アール・ヌーボー様式の代表的な建築>
アントニ・ガウディ設計
カサ・ミラ1906~1910:まるで生きているかのような曲線が印象的
エクトール・ギマール設計
カステル・ベランジェ 1898
<アール・デコ様式の代表的な建築>
ウィリアム・ヴァン・アレン設計
クライスラービル 1930
レイモンド・マシューソン・フッド設計
ロックフェラーセンター 1930~1939
リッチモンド・H・シュリーブ、ウィリアム・F・ラム、アーサー・L・ハーモンらの3名による設計
エンパイアステートビル 1931~1940
日本では、以前取り上げました東京都庭園美術館が代表的な建物です。
アール・デコの傑作「東京都庭園美術館」 - 日本のすばらしい建築物
これほど世界で流行したアール・デコ様式ですが、これを採用した建築は日本ではとても少なく、現存している建物と考えると、旧千葉常五郎邸は大変貴重と言えます。
この洋館は、1918(大正7)年に資産家の千葉直五郎が息子の常五郎のために作らせたとされています。
鍋島家の令嬢と結婚する際の、婚祝いのために建てた邸宅です。
そして、その豪華さゆえに「男爵の邸宅」(一般人が建てたとは思えない、侯爵様の邸宅ようだとの意味)と噂されたそうで、当時から変わらない外観がヨーロッパのお城を彷彿とさせます。
資産家の千葉直五郎とは、江戸時代から続く、明治時代の三大タバコ商の一つ、千葉商店に生まれました。
後を継いだ兄の松兵衛は、会社を大きく発展させ、大企業まで育て上げました。
直五郎は明治の実業家として、鉄工所などの経営で成功した資産家でした。
千葉商店「シルヴァーライト」のポスター
商品にアール・ヌーボーのデザイン様式を取り入れるなど、老舗の暖簾を守りながら独自に事業を展開していました。
専売当初のたばこ定価表(明治37年~40年ごろ):明治37年(1904)「煙草専売法」により、原料葉たばこの買い上げから製造販売まで国の管理(製造専売)で行われることになりました。
この洋館で、新婚生活を送っていた千葉常五郎は、明治44年に生まれ、米国アーマスト大学を卒業しています。
日本には昭和8年に帰国し、その後、戦後にゴルフボールの製造をはじめて、成功した実業家として知られています。
この邸宅の設計は黒川仁三、建設は竹中工務店が請け負いました。
黒川仁三については、他の建築物も不明で、はっきりとはわかっていません。
ただ、関東大震災にも耐えたところをみると、かなりしっかりとした建物だと容易に想像がつきます。
また、都市部を標的にした東京大空襲を免れたのには、この辺りが、かつてはお屋敷街で落ち着いていたのも幸いしたかも知れません。
現在は、1981(昭和56)年に現在の持ち主に代わり、現在は会員制クラブとして創業し、レストランとして知られています。
外観
外観は当初のままで変わっていません。
内装はその後の増築や改装が行われていますが、アール・デコ様式は大切に生かされています。
昭和初期ごろ
建物全体の外観は、石積み風となっていて、玄関には堅牢なアーチ状の車寄せを備えています。
車寄せ
外観の印象ですが、左右対称にせず、あえて崩した形となっています。
この時代には、スパニッシュ様式も流行りはじめたためか、車寄せの外壁には獅子をかたどった吐水口の噴水が設置されています。
獅子頭のついた壁泉
車寄せに連なる円筒状の塔屋の中は、螺旋階段となっています。
その塔屋の右側部分が3階建てになっていますが、3階窓のすぐ上に屋根があり、屋根裏に部屋を設けている意匠です。
開放的な1階とは対照的に、隠れ家的な空間になっています。
3階建ての部分
室内ですが、1階のレストランは中庭だったところを、増築して作られた部屋となっています。
画像左奥のアーチ部分は、当時の外壁をそのまま利用しています。
当初は、広い中庭をぐるっと囲むように建物が建っていました。
1階レストランと外壁のアーチ
アーチ部分は以前は外壁でした
1階の奥の部屋は店内の一部になっていますが、もともとは離れになっていたところです。
改装時にステンドグラスが設置されました
玄関すぐの階段は螺旋階段になっていて、外からは円筒状に見えていた塔の部分です。
ヨーロッパの建物を思い起こさせる螺旋階段はクラシカルで、手すりのアイアンワークが印象的です。
階段
2階は現在、会員制のラウンジとなっていますが個室が複数あり、エルテの作品が多数飾られています。
エルテはロシアの芸術家で幻想的なアール・デコの作品を特徴としています。
彼の作品は近代ファッションの父=ポール・ポワレに見出され、およそ一世紀におよぶ生涯を通じて、魅惑的な夢の世界を創作し続けました。
エルテ:ガラスレリーフ
エルテの作品は、建設当初からあったものではありませんが、アール・デコ様式が随所に残っているこの洋館の室内には、とてもふさわしいコレクションと言えます。
まさに小さな美術館で、より一層、タイムスリップした気持ちにさせてくれるでしょう。
エルテ:レストラン部分
エルテ:光により美しく演出されています
ゆっくりとカーブした廊下や、螺旋階段により、全体的に優雅でエレガントなムードです。
2階カーブ廊下
そして、もう一つの階段では、手すりが幾何学的なデザインになっており、アールデコをうかがわせます。
幾何学的な繰り抜きの手摺
2階の部屋からは、中庭と1階部分がよく見えます。
屋根は大正瓦という特殊な瓦ですが、今では製造されていないため、貴重といえます。
中庭の様子
また、3階はまさに屋根裏部屋といった感じです。
内装もそのまま屋根の梁が見えていて、場所に寄っては頭を打ちそうになります。
本当に隠れ家といった感じで、とても落ち着く空間です。
屋根裏:全体
屋根裏
現在は、高層ビルによって景観が遮られていますが、当時は3階の窓から渋谷を一望出来たそうです。
地下1階は、現在、ワインの貯蔵庫とそれに併設したバーになっていますが、改装前はプールだったようです。
プール付きの新婚さんの住居とは、当時のたいへん贅沢な暮らしぶりがうかがえます。
ワイン貯蔵庫:年代物のワインが静かに眠っています
この建物はリノベーションされているためか、あまり知られていませんが、日本では珍しいアール・デコ様式の空気が残る貴重な建物です。
どうしても歴史的に重要な邸宅は、むやみに建物に触ることはできませんが、この洋館のように、オリジナルと新しさが混在し、より新鮮なものに生まれ変わっているのも面白いのでないでしょうか。
ここは、素晴らしい料理と共に、その新鮮さと、建物の持つ歴史の厚みを味わうことの出来る小さな美術館。
大人のアンティークな空間に一度足を運んでみてはいかがでしょうか。