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日本のすばらしい建築物

日本に現存するすばらしい建築物を紹介するブログ

盛美館(庭を愛でるための館)

こんにちは、ニュースレター作成代行センターの木曽です。

 

突然ですが、ジブリ作品の『借りぐらしのアリエッティ』をご存じでしょうか?

 

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借りぐらしのアリエッティ:DVDタイトルより

 

ジブリ作品はいくつかありますが、この映画もたいへん人気のある作品の一つです。

 

原作はメアリー・ノートンの「床下の小人たち」ですが、それをスタジオジブリがアニメ映画にしたものです。

 

実は、この作品に登場する建物は実際の建物をヒントに描かれているのをご存じでしたか?

 

それは、青森県平川市にある「盛美館(せいびかん)」です。

 

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物語を全く知らないという方のために、少しだけ、『借りぐらしのアリエッティ』に触れてみましょう。

 

アリエッティはとある郊外の古い屋敷に住んでる小人の女の子。

 

小人の一族は、自分たちの暮らしに必要なモノを必要な分だけ、人間の世界から借りて生活する「借りぐらしの種族」です。

 

彼らは人間たちの食料や雑貨、電気や水道などをちょっとずつ「借りて」生活しています。

 

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主人公アリエッティは洗濯バサミを髪留めにしています

 

そんなある夏の日、その屋敷に、 病気療養のために12歳の少年・翔がやって来きます。

 

「人間に見られてはいけない。見られたからには、引っ越さないといけない。」

 

それが床下の小人たちの掟でしたが、アリエッティは翔に姿を見られてしまいます。

 

それでもアリエッティは、生来の好奇心と向こう見ずな性格も手伝って、次第に翔に近づいて行くのです。

 

そんな中、アリエッティの家族に大きな事件が迫っていた・・・という話です。

 

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アリエッティと少年

 

物語は、“借りぐらし”をしている小人の少女の初恋と冒険を描いたものですが、この物語の設定で一番大切な部分はタイトルの「借りぐらし」でしょう。

 

物質的に豊かになったけれど、心が貧しくなってしまった人間の生活と、対照的に小人たちの貧しくても心豊かな家族の暮らしぶり。

 

視聴者の感想の中には、小人たちの慎ましくも温かい生活と、人間から借りてきた「道具」を工夫しながら一生懸命生き、彼らの家の中の様子が、なぜか懐かしい気持ちにさせるという人が多いようです。

 

この作品で描かれている建物の外観はあまり出てきませんが、人間の部屋と小人たちの部屋は随所に出てきます。

 

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アリエッティの部屋:机の上のえんぴつやノートから、小人たちのサイズが想像できます

 

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アリエッティの父親のアトリエ:ボンドやクギ等を少しだけこっそり借りてきてオリジナルの道具を作っています


とても面白いのは、この物語に出てくる建物が和洋折衷ということ。

 

この和洋折衷が、架空の洋館に不思議な魅力を与えているのです。

 

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この作品のモデルとなった建物「盛美館」もまさに和洋折衷で、小さな建物ながらたいへん印象深く、心躍る魅力がある建物なのです。

 

外観が作品の建物に似ているか?と言われればそうではありません。

 

しかし、アリエッティのヒントになったという目で建物を見ると、その魅力に納得出来るでしょう。

 

そして「盛美館」に切っても切れないのは、素晴らしい日本庭園です。

 

実は、「盛美館」はこの日本庭園を鑑賞するために建てられた別邸と言われています。

 

それでは、まずは、名庭「盛美園」から見ていきましょう。

 

園の、広さは3,600坪(1,2ヘクタール)にものぼります。

 

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庭:全体 中央奥は借景により奥行きを与えています

 

青森の大地主・清藤盛美によって、まず庭園が手がけられました。

 

清藤家はもともと、北条時頼家臣の血を引く清藤盛秀に始まる名家です。

 

郷土の農家であり資産家でもあった大地主、清藤家24代、清藤盛美が作庭家の小幡亭樹宗匠を招き、1902(明治35)年より着工し、庭園の完成まで9年を要しました。

 

建設した理由の一つには、農閑期の農民を雇用する景気対策でもあったそうです。

 

この庭は、枯山水池泉回遊式庭園をもち、武学流の真髄を示した名園といわれ、 築山庭造伝や造庭秘伝書の形式を忠実に再現したとも言われており、明治時代の作庭の中でも、京都の「無隣庵」、「青風荘」と共に日本の三名園の一つに数えられています

 

敷地の手前には枯山水庭園がありますが、枯山水(かれさんすい)庭園とは室町時代に、禅宗の影響を受けてつくられた庭園様式です。

 

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枯山水庭園部分

枯山水庭園・・・水を使わず白砂の模様(砂紋)で川や海原を表現し、石組みで山や島、生物などを表しています。

砂と石とわずかな苔だけを使ってつくられた庭を石庭と呼びます。
自然を象徴的に表現した枯山水は、「観(み)る」というより「対話する」庭、といわれ、観る人によって自由に解釈できる面白さを持っています。

 

奥には池泉回遊式庭園、つまり、大きな池を中心にした庭を歩きながら鑑賞するスタイルの庭園があります。


この庭の部分は、まさに大石武学流庭園の代表作です。

 

大石武学流とは、津軽地方に、江戸時代末期から流行したという造庭技法です。


その由来の一つは、江戸時代に津軽に配流された京都の公家・花山院忠長卿が、仏教文化に古神道文化を取り入れてつくったとするもの。


もう一つは、津軽藩主が、藩の庭園守護であった高橋亭山を京都に派遣し、庭園築造術を研究させたもの。


そのどちらかが有力だと言われています。


いずれにしても、津軽の風土に育まれて発展した庭であり、技法の特色としては、豪快な石組、借景に岩木山を取り込む、礼拝や清浄を重んじる、などがあります。

 

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池泉回遊式庭園・・・大きな池を中心にした庭を歩きながら鑑賞するスタイルの庭園です。

鎌倉時代までのほとんどの庭園がこの形式になります。
一般的に人工的な山の築山(つきやま)や岩組み、雑木林などをつくり変化に富ませ、池にそそぐ川や滝、橋や飛び石を配して、移り変わる景色を楽しみます。

 

この庭の見所は、「真」「行」「草」の3部構成になっていることころです。
「真」を表す築山、「行」を示す築山をつくり、松・かえで・つつじ等を添えて趣きを豊かにし、「草」は平庭になっているところを表します。

 

この平庭になっているところが面白く、左右の築山の中心が開けた印象を与え、その間から津軽平野と遠山を借景として取り入れています。

 

ただ、借景は盛美園の2階の展望室から見た眺めを基準としているため、庭を普通に廻っただけでは、わかりにくいかもしれません。

 

庭園から眺めた盛美園は、手前の灯篭との風景が、アリエッティに登場した洋館と灯篭のシーンを少し連想できるかもしれません。

 

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アリエッティが住む建物の庭

 

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庭園奥から盛美館を望む

 

それでは、別邸の「盛美館」に触れていきましょう。

  

清藤家25代、清藤辨吉により、鹿鳴館時代を彷彿させる和洋折衷様式の洋館が建設されました。

 

息子の辨吉が建てたものですが、別邸の名前は「盛美館」。

 

それだけ盛美が目の前の庭に心血を注いでいたことが容易に想像ができます。

 

この建物の設計・施工は西谷市助で、1908(明治41)年に建てられました。

 

西谷は旧弘前市立図書館などを設計した明治の天才棟梁堀江佐吉の弟子になります。

 

師匠の堀江とは東北に洋風建築を根付かせた第一人者で、のちに大工組合の初代会頭も務め、息子たちも棟梁として活躍し、堀江組800人と呼ばれた一大勢力を誇った大工の棟梁です。

 

後身を育てることに、たいへん力を注いだ人でもあります。

 

そんな素晴らしい師匠の弟子であった西谷だからこそ、清藤家のわがままな理想の建物を実現出来たと言えるでしょう。

  

それでは、具体的に建物を見ていくことにしましょう。

 

先に述べた通り、和洋折衷の建物です。

 

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大変面白いのは、1階が純和風の数寄屋造り、2階が可愛らしい洋風といったように、建物の上下で和風と洋風がはっきりと分かれているところです。

 

そもそも、和洋折衷の建築物は、擬洋風建築とも呼び、明治時代初期に日本の各地で建築された日本人の大工、宮大工や左官職人らが、西洋人の建築家が設計した建物を参考に、「見よう見まねで建てた西洋風の建築物」のことです。

 

戦前に「西洋建築の専門知識を持たない人物によって建てられた寄せ集め的な建物」扱いを一部では受けていましたが、純和風建築にも純洋風建築にも見られない味わいで、その印象的なデザインと雰囲気は、斬新でお洒落な一面もある独特のものです。

 

しかし、この盛美館は、異なった様式が上下に重なる建物で、日本では大変珍しく、他に例がないといわれています。

 

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2階は、八角形の展望室、ドーム屋根、尖塔風の装飾のついた本格的な洋風です。


遠くからみても、頭デッカチな印象があり、この重たい2階部分を1階がどのように支えているのか不思議にすら覚えます。

 

外観は柱の細部や窓枠まで、細かい装飾が施されていて美しいです。

 

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 外観のアップ

 

玄関は予想と異なり、小さな丸い外套が1つ付いた、とてもシンプルなものです。


外観が華やかな2階とのギャップが面白く感じます。

 

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玄関

 

室内ですが、1階は、「次の間」「客間」「居間」の三室に、厠・湯殿・供待部屋があります。

 

「次の間」「客間」は庭に面し、部屋の周りには縁側が廻らされています。


雨戸やふすまを開放すると、内と外の境界が曖昧になり、風景にとけ込んでしまうような感覚になります。


古い日本家屋には見られるものですが、この開放的な空間はとても気持ちが良いものです。

 

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縁側:戸の開放時

 

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縁側:戸が閉まっている状態ですがガラス越しに庭を見ることが出来ます


客室からは、枯山水と池泉回遊式庭園が一体となり、見る者を飽きさせない意匠となっています。


また雪見障子から庭が見える様は、借景となっており、まるで1枚の絵のようです。

 

まさに庭を楽しむための部屋で、お客様をもてなすのには最高の部屋と言えるでしょう。

 

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客間


また、障子が蜘蛛の巣を模った細工も印象的で、お洒落で遊び心を感じます。

 

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障子に蜘蛛の巣のデザイン


居間には、炉があり、施主がゆっくりと暖をとりながらくつろぐ姿が目に浮かびます。

 

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居間


また1階には、厠・浴室・侍待部屋があります。

 

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厠:腰壁がスタッコ塗りで仕上げられています

 

厠は、砂雪隠式で、砂が入った引き出しを床下で出し入れするようになっていて外から交換できるようになっています。


そして隣の供待部屋はお供の控え間になっていて、主人の世話をするようになっています。

 

この部屋には、富士山形の小組のある窓と梅の花形の窓があり、狭いながらもとてもお洒落な空間です。

 

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供待部屋

 

湯殿は、総檜風呂となっていて、その場で湯を沸かすのではなく、お湯を運んで使っていたようです。

 

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湯殿

 

2階への階段を見ると、腰壁が大理石のように見えます。


先にご紹介した厠の腰壁も同様のもので、実は漆喰で作られています。


スタッコ塗りとして知られ大理石の感じを出すために、漆喰の中に大理石の粉を混ぜて固く仕上げ、磨き上げた工法で、白漆喰の唐草装飾とともに左官職人であった西谷市助の弟の施工と伝えられています。

 

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階段

 

腰壁のスタッコ塗りが、まるで象形模様のようでもあり、とてもインパクトがあり印象的です。


そんな階段を上がりたいものですが、残念ながら2階は立入禁止の為、拝観が出来ません。

 

2階には、「主人室」「更衣室」「夫人室」の三室があり、外観の八角形の展望室は、「主人室」の一角に併設されています。

 

公式のHPを見る限り、天井が真っ白の漆喰で塗られ、窓のサッシや照明は洋風となっています。


しかし、基本的には畳敷きで、欄間もあることから和室のような造りとなっています。

 

欄間はとても現代的で、障子が美しいものです。

 

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名家の清藤家といえども、明治の動乱、戦前戦後の政治不安により、財産を奪われ縮小を余儀なくされてきたことは容易に想像がつきます。


しかし、贅を尽くした盛美園・盛美館をみると、これだけの大きさを維持し、さらに繁栄させてきたことに驚きを隠しえません。

 

建物の「和洋折衷による上下の独特の違和感」と、そこに『借りぐらしのアリエッティ』のような、ロマンチックなファンタジーが加わることにより、絶妙の面白みと新鮮さが増し、一層魅力を引き立たせます。

 

この不思議な調和の感覚をぜひ一度お楽しみ頂けたらと思います。