日本のすばらしい建築物

日本に現存するすばらしい建築物を紹介するブログ

神戸モスク

突然ですが、日本にムスリム(イスラム教徒)が何人いるのかご存知ですか?


統計によると、外国人ムスリムが推定5万~10万人程度、日本人ムスリムが推定700~7万人程度ということになっています。


正確な数はわかっていませんが、けっこうな人数がいるということはお判りいただけたかと思います。


今回は、そんな日本にいるムスリムのために建てられた日本初のモスク「神戸モスク」についてです。


正式名称は「神戸ムスリムモスク」と言います。

 

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<神戸モスク>

 

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<イスラム教徒>


まず初めに、日本とイスラム教の関係について解説します。


「でも日本とイスラム教って、そんなに関係なくない?」と思われるかもしれませんが、実際は古くから日本とイスラム教は密接な関係にあります。


古来より、イスラム世界においては、日本は「ワクワク(諸説あるが、倭国の中国語発音が由来とされる)」として知られていました。


歴史的には、奈良時代にイスラム圏から玻璃器などの宝物が、シルクロードを通り中国などを経由して日本にもたらされ、今も正倉院に保管されています。

 

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<シルクロード>

 

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<瑠璃の杯>

 

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<正倉院>


また、元(13~14世紀頃)のフビライ・ハンが日本に送った使節には、2人のムスリムがいたことが確認されています。


安土桃山時代には、中国やアラブからイスラム商人が訪日していたとも言われており、南蛮貿易などで東南アジアに渡った日本人商人の中には、イスラム教に改宗した者もいました。


江戸時代には、オランダなどのヨーロッパからの情報として、イスラム圏に関する断片的な情報が日本にもたらされました。

 

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<南蛮貿易>


江戸時代の後、日本に最初に入ってきたムスリム集団は、1917(大正6)年のロシア革命によって国を追われた中央アジアのタタール人たちでした。


さらに1930年代後半、日本はインドネシアやマレーシアなどイスラム教徒が多数を占める地域を占領し、3年程度、軍を主体とする占領統治を行っています。


欧米諸国の植民地を解放するための占領統治です。


これが、「大東亜戦争(いわゆる第二次世界大戦)」が始まった理由の1つです。

 

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<ロシア革命>

 

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<大東亜戦争>


明治以降は、多くの日本人が移民として世界各国に渡る時期でもあり、その中には谷豊などのように、マレーシアなどイスラム教の勢力が大きい国に移住し、イスラム教に親しむ日本人もいました。


ジッダにあったイギリス公使館から本国に宛てた報告には、1938(昭和13)年に7人の日本人が巡礼に来たとの記録が残っています。


2010(平成22)年時点で日本に住むムスリムは、1980〜1990年代にパキスタンやバングラデシュ、イランなど東南アジアや中東から労働者として来日した者と、その家族(日本人配偶者も含む)が中心となっています。

 

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<日本にいるムスリムの被災地支援>


このように古来から、日本はイスラム教についても様々な情報を持っており、実際に改宗する日本人もいました。


特に、商人をしている人間は改宗することで新たな情報やモノを得ることが容易となったため、江戸時代にキリシタンやムスリムに進んで改宗する日本人は、たいてい商人でした。


戦後の日本ではGHQによって神道が半ば破壊され、その後70年間、日本人の心から宗教心というものがどんどん薄れていきました。


それが影響し、日本の行政では宗教ごとの信者数は重視されておらず、これを詳しく調べた公的な統計は全くありません。


そのため、冒頭で述べたように統計から出す推定数しか提示することができないのです。


文部科学省の宗教統計調査である宗教年鑑というものはありますが、これは宗教団体の自己申告をまとめただけの大まかな調査であり、その裏付けもほぼ行われていません。


しかも、この自己申告に忠実に沿うと、神道と仏教の信者数の合計だけで、日本の総人口を遥かに上回る2億近くになります。


日本人は、正月は神社に行きお盆は寺に行くという、神道と仏教を両立するタイプの非常に珍しい人種なので、2億という数字は正しいのかもしれませんが・・・

 

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<初詣>

 

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<お盆参り>


イスラム教に至っては、天理教や円応教など全く関わりない新宗教と同じ「諸教」としてまとめられているため、イスラム教単独での信者数を数えるのは困難です。


5万~10万人もの外国人ムスリムが日本にいて、なぜこんなにも身近に感じないのかというと、日本では選挙権を持っているのは日本人だけだからです。


日本にいるムスリムのほとんどは外国人です。


選挙権を持たない彼らに対し、国が何かをするという考えがないのです。


そのため、世界的に最大宗教勢力の1つであるイスラム教が日本にあっても、日本人である私たちはそのことに気づくことができないということです。


とにもかくにも、イスラム教は実は日本と身近にあり、日本にもムスリムはいるということをまずは覚えておきましょう。


次に、神戸にモスクが建てられた理由についてです。


イスラム教では、日に5回、メッカの方向に向かって祈りを行います。


普段は家でもどこでも行いますが、金曜日(イスラム教の祝日)の昼の礼拝(サラート)だけはモスクで行うことが推奨されています。


そのため、日本にいたムスリムたちは、絶えず日本にモスクを作ることを懇願していました。

 

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<サラート>


日本でのモスク建立計画は神戸が最初ではなく、1909(明治42)年に東京で持ち上がりました。


しかし、用地確保の段階で計画が頓挫し、1924(大正13)年に再度計画されました。


1931(昭和6)年、代々木富ケ谷に「回教徒(ムスリムの和名)小学校」が建てられましたが、モスク本体は建てられませんでした。


名古屋市においても、1931(昭和6)年に小さな木造モスクが建立された記録があり、1936(昭和11)年11月に完成し翌年1月に落成式が行われたと言われていますが、正確なことはわかっていません。


しかもその後、第二次世界大戦中の空襲で焼けてしまいました。


神戸においてモスク建立の必要性が認識されたのは、第一次世界大戦中・戦後に神戸に移住するイスラム教徒が増えたことによります。


1925(大正14)年にエジプト領事が来日したことも、計画に一時的な推進力とはなりましたが、途中帰国によりエジプト政府からの資金導入は出来ませんでした。


世界恐慌による経済不況とエジプト人領事の帰国で、困難に直面した神戸モスク建立事業は、1928(昭和3)年に来日したインド人貿易商が資金集めをしたことで、やっと計画が具体化しました。


インド人貿易商の1人であるフェローズッディン (Ferozuddin) は、資金総額(12万円弱)の半分以上を一人で負担し、ボンベイ(ムンバイ)に本社があるアフメド・アブドゥル・カリム兄弟社が次点の大口出資者となっています。


また、神戸トルコ・タタール協会も寄付しています。


当時決して裕福ではなかったタタール人が、生活費を削って寄付金を集めたそうです。


海外で資金集めをした S.A.アハメド (S.A.Ahmad) は、インドや英国の海峡植民地にも赴きましたが、来日した後に病死し、モスクの完成を見ることはありませんでした。


神戸では、大口出資者のインド人の例外として、在朝鮮タタール人、在神エジプト領事、シリア商人、エジプト領事館員がいました。

 

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<フェローズッディン>


これらのことからわかるのは、やはり日本人が誰一人として出資していないということです。


当時、イスラム教は新宗教と同じく、行政上「宗教」の扱いを受けない「類似宗教」と見なされていて、法人格は認められなかったためでしょう。


しかし、建てること自体は特に問題にはならなかったそうです。


1934(昭和9)年11月14日にモスク建設認可が下り、竹中工務店と契約しています。


鉄筋コンクリート造のモスク本体の設計は、チェコ出身の建築家ヤン・ヨセフ・スワガーによる「スワガー建築事務所」です。


ちなみにスワガー氏は日本中で多くのキリスト教会の建設を手掛けていたため、同じ異教の建築ということで依頼されたのでしょう。


スワガー氏による有名な建築に、横浜の山手教会があります。

 

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<山手教会>


そんな彼の建築の中でも異彩を放っているのが、この神戸モスクです。


神戸モスクは、日本初のモスクとして1935(昭和10)年に創建され、その年の8月2日に献堂式が行われました。


その際は世界中からムスリムのお偉方が集まり、祝賀会が開かれました。


このようなことから、世界のムスリムの間では日本にモスクがあることがよく知られているようですが、悲しいことに、このことを知っている日本人はあまりいません。


ちなみにこのモスクは、戦時中の1943(昭和18)年に、日本海軍に一度接収されています。


モスクは頑強な地下室と建築構造を持っており、1945(昭和20)年の神戸大空襲でも焼失を免れました。


50年後、1995(平成7)年の阪神・淡路大震災でも倒壊せず避難民を収容し、現在に至っています。

 

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<神戸大空襲>

 

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<阪神・淡路大震災>


また、このモスクの素晴らしいところは、「誰でも入ることができる」という点です。


世界のほとんどのモスクは「イスラム教徒」しか入ることができません。


しかし、神戸モスクはたとえイスラム教徒でなくとも誰でも入ることができます。


もちろん、見学する際は事前に連絡をしたほうがよさそうですが、それでもモスクの中では異例です。


そんな神戸モスクは、地上3階、地下1階建てのドーム型建築です。

 

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<神戸モスク 正面>


中東などに多いモスクそのものであるため、ここが日本であることを忘れるような外観となっています。


中央に大きなドームが置かれ、周囲に4つの尖塔が並びます。


南アジア系のイスラム教徒が多かったことが理由なのでしょうか、どこかインド風のデザインを感じます。


タージマハルを想像していただければ、インド風がどういうものかわかるのではないでしょうか。

 

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<神戸モスク 外観>

 

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<タージマハル>


ちなみに尖塔(ミナレット)にバルコニーが付いているのがわかると思います。


この場所は礼拝時間をアナウンスするための場所です。


日本ではあまり使われることはなさそうですが、世界のモスクでは常に使われています。

 

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<神戸モスク 尖塔>


雰囲気のある正面玄関から入ると思いきや、見学は通用口からです。


イスラムらしい尖塔アーチ窓が、外観からもわかります。

 

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<神戸モスク 窓(外側)>


しかし、この窓は中から見ると、全く違う雰囲気になります。


外の光と窓ガラスの色が混ざり、内観の白い壁が黄色っぽく光るようになっています。

 

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<神戸モスク 窓(内側)>


礼拝堂に入ると、豪華なシャンデリアに目が留まります。

 

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<神戸モスク シャンデリア>


礼拝堂の床には、赤色の美しいカーペットが敷き詰められています。


また、西側の壁にはミフラーブと呼ばれる窪みがあり、この方向がメッカの方向を指しています。

 

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<神戸モスク 礼拝堂>

 

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<神戸モスク ミフラーブ>


イスラム教は古来から偶像崇拝禁止の宗教なので、キリスト教のマリア像などのようなものは一切ありません。


しかし、そのような像がなくとも礼拝堂内の雰囲気はとても重厚で、窓から差し込む光がなんとも言えない雰囲気を作り出します。


日本語で言うところの「黄昏色」というような色味で、美しさの中にも怖さがあるような雰囲気となっています。

 

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<神戸モスク 黄昏色の窓>


見学する際は、このモスク内の窓をぼーっと眺めてみるのもいいかもしれません。


ただし、その際は礼拝時間と被らないようにするほうがよいでしょう。


モスクでは毎日5回、夜明け、正午ごろ、午後、日没直後、就寝前に礼拝が行われます。


礼拝時間は太陽が基準となり少しずつ変わりますが、神戸モスクのホームページに記載されているので、前もって確認しておきましょう。


服装については、半ズボンや女性のミニスカートなど、肌を露出する服装は控えてください。


また、見学の際はイスラム教の礼拝について少し勉強してから行くとよいでしょう。


モスク内の黄昏色の窓は、勉強してでも見る価値はあると思いますのでおすすめです。