日本のすばらしい建築物

日本に現存するすばらしい建築物を紹介するブログ

モエレ沼公園

北海道札幌市と言えば、冬は大雪が降ってウィンタースポーツや雪祭りでにぎわい、夏も避暑地として非常に有名な都市です。


そんな札幌には、数多くの観光スポットがありますが、今回ご紹介するのは、『モエレ沼公園』です。

 

モエレ沼公園


ちなみに今回は、建物というよりは「空間」についてのご紹介です。


『モエレ沼公園』という名称からわかる通り、「公園」なので、いわゆる建築物という感じではありません。


「公園」と聞くと、あなたはどんな場所を想像しますか?


ブランコや砂場があって・・・とか?


公園と一口に言っても、このモエレ沼公園は、ふつうの公園とはわけが違います。


地元の人からすれば、家族で楽しめる人気スポットの一つでもあります。

 

まず、普通の公園と大きく異なる部分、それは、圧倒的に広いことです。


湖沼を含めて、面積は約188.8ヘクタールの広い公園です。


この広さは、札幌ドーム約34個分、東京ドーム約40個分にもなります。


そのため、公園1周3.75キロメートル、1周するのに親子で2時間以上はかかります。


ちなみに、園内でラジコン飛行機や凧、パラグライダーなどは使用できません。


そして、この公園にはもう一つ特別な点があります。


それは、世界的に著名な彫刻家イサム・ノグチが、「全体をひとつの彫刻作品とする」をコンセプトに基本設計していることです。

 

イサムノグチ


つまり、今回ご紹介するのは、いつものような「建築物」ではなく、彫刻作品としての空間なのです。


たまには少し変わったものもご紹介していこうかなと思ったのと、実際に建築物もそうですが、公園も「人が訪れる」ことに変わりはありません。


キレイで斬新な建築物もいいですが、たまには広大で、人々の憩いの場としての空間もいいのではないでしょうか。


『モエレ沼公園』は、広大な敷地に幾何学模様をモチーフにした山や噴水、遊具などの施設が並び、自然とアートが融合した美しい景観が楽しめる公園です。

 

1982年に着工し、2005年にグランドオープンしました。


それでは、そんなモエレ沼公園の魅力を紹介していきます。

 


噴水


モエレ沼公園は、1978年に、札幌市が自然の沼地としては危機的な状況にあるモエレ沼を、保全を兼ねた大規模な水郷公園とする事業に着手することになったのが始まりです。


当初の構想では、野球場や植物園を設置する一般的な公園の構想で、1983年には桜の名所を目指して約1800本のサクラが植栽されました。


公園造成のため、1979年からはごみの搬入が始まり、1990年までに71.2ヘクタール、273万6000トンを埋立しました。


1988年3月、「長い間温め続けてきた数多くのプレイグラウンドのアイディアを実現できるかもしれない」と札幌の起業家から誘いを受けたイサム・ノグチが、札幌を訪れました。


札幌市はノグチに、是非とも作品を展示してほしいと、複数の候補地を提案しました。


その中でノグチは、既に建設が始まっていたモエレ沼公園に強い関心を寄せました。


ごみの埋立地として利用している土地に対して「人間が傷つけた土地をアートで再生する。それは僕の仕事です。」とコメントし、同年6月に公園設計への全面協力を発表したのです。


それに伴い札幌市はノグチに公園設計を委託し、同年11月に開催されたノグチの誕生パーティーで、モエレ沼公園の2000分の1の模型(マスタープラン)が披露されました。


ところが、同年12月に、ノグチは急病により死去する事態となってしまいます。


これに対し札幌市は、マスタープランが完成済であることや、詳細の指示を受けていたイサム・ノグチ財団の監修と活動を支援していた人々の協力も得られることから、公園造成の継続を決定ました。


そして、1989年から本格的な造成工事が始まりました。


1993年に、遊具エリア一部を一般開放し、1995年からテニスコートの開放が始まって、1996年にプレイマウンテン、テトラマウンド、ミュージックシェルがオープンしました。


1998年には、ノグチの急逝から10年と全体構想の約70%が完成したとして、開園式が行われました。

 

テニスコート

 

テトラマウンド


2003年に、ガラスのピラミッド「HIDAMARI」が完成し、施設内でノグチの展覧会を開催しました。


2004年にはモエレ山が完成し、2005年の海の噴水完成を以ってグランドオープンとし、記念行事が開催されました。

 

HIDAMARI


つまりこの公園は、この構想を練った人物が存在し、それを受け継いだ他の人々が実際に構想通りに作り、実に17年かけて完成させた公園なのです。


さてここで、イサムノグチという人物について解説します。


ちなみに、彼についての舞台演劇が作られ、彼の母親を題材にした映画もあるほどの人物です。


イサム・ノグチ(日本名:野口 勇、1904年11月17日 - 1988年12月30日)は、アメリカ合衆国ロサンゼルス生まれの彫刻家です。


画家、インテリアデザイナー、造園家・作庭家、舞台芸術家でもあり、日系アメリカ人です。


父親が日本人(愛知県生まれの日本の詩人で慶應義塾大学教授の野口米次郎)で母親がアメリカ人(アメリカの作家で教師のレオニー・ギルモア)です。


1907年、ノグチは3歳の時に母レオニーと来日し、先に帰国していた米次郎と同居を始めます。


しかし長くは続かず、その後、父親の米次郎は武田まつ子と結婚し、ノグチは母子家庭となり、「野口勇」として、森村学園付属幼稚園に通学します。


1年後に神奈川県茅ヶ崎市に転居して地元の小学校へ転入し、その年に母レオニーがアイリス(ノグチにとっては異父妹)を出産しました。


1913年からは「野口勇」に代わり「イサム・ギルモア」を名乗り、横浜市のセント・ジョセフ・インターナショナル・カレッジへ転入し、茅ヶ崎の自宅の新築設計を手伝うなど数々の建築作品に携わります。


学校に通う中、ノグチは1915年の1学期間休学し、母親の個人教授を受けながら茅ヶ崎の指物師(家具製造職人)について見習い修行しました。


学校を卒業した後、1918年6月には母の意思で単身でアメリカへ送られ、7月にインディアナ州ローリング・プレーリーのインターラーケン校に入学しました。


同校は8月に閉鎖されてしまいますが、エドワード・ラムリー博士(インターラーケン校の創立者)が父親代わりとなり、サミュエル・マック博士宅に寄宿しながらラ・ポート高校に通学し、トップの成績で卒業しました。


卒業写真に残したノグチの言葉は、「大統領になるよりも、僕は、真実こそを追求する。」でした。


「アーティストになりたい」というノグチのために、ラムリーはスタンフォード在住の彫刻家ガッツォン・ボーグラムに、助手としてノグチを預けました。


ボークラムとノグチとは馬が合わず、1923年にニューヨークへ移ってコロンビア大学医学部に入学し、日本から帰米してきた母と暮らすようになります。


そこでノグチは医学部に在籍しつつ、レオナルド・ダ・ヴィンチ美術学校の夜間の彫刻クラスに通い始めました。


そこで才能を発揮します。


なんと「ミケランジェロの再来」と呼ばれるようになり、入学してわずか3カ月目には初の個展を開催します。


ナショナル・スカルプチャー協会の会員にも選ばれ、ナショナル・アカデミー・オブ・デザインに出品しました。


この頃から、父からは許されていなかった野口の姓を名乗って「イサム・ノグチ」と名乗るようになります。


ここで、美術学校の校長オノリオ・ルオットロから、彫刻に専念することを勧められます。


1925年、ノグチはニューヨークで活躍していた日本人の舞踏家伊藤道郎のダンス・パフォーマンスに仮面を制作しました。


これがノグチにとって初めての演劇関連のデザインでした。


2年後にグッゲンハイム奨学金を獲得してパリに留学し、彫刻家コンスタンティン・ブランクーシに6ヶ月間師事してアシスタントを務め、夜間の美術学校に通います。


しかし、1年後に奨学金の延長が認められずニューヨークに戻り、アトリエを構えます。

 

1930年から1931年にかけて、パリを経由して日本に渡航しました。


1935年には、在米日本人芸術家の国吉康雄、石垣栄太郎、野田英夫らと共に、ニューヨークの「邦人美術展」に出品しています。


第二次世界大戦の勃発に伴い、在米日系人の強制収容が行われた際には、自らアリゾナ州の日系人強制収容所に志願拘留されました。


しかし、アメリカ人との混血ということでアメリカ側のスパイとの噂が立ち、日本人社会から冷遇されます。


自ら収容所からの出所を希望するも、今度は日本人であるとして出所はできませんでした。


後に、芸術家仲間フランク・ロイド・ライトらの嘆願書により出所し、その後はニューヨークのグリニッジ・ヴィレッジにアトリエを構えました。

 

フランク・ロイド・ライト


終戦後、ノグチは、1947年にアメリカのデザイナーであるジョージ・ネルソンの依頼で「ノグチ・テーブル」をデザイン・制作するなど、インテリア・デザインの作品にも手を出します。

 

ジョージネルソン


1950年に再来日して銀座三越で個展を開き、その時に日本では著名な建築家である丹下健三、谷口吉郎、アントニン・レーモンドらと知己になりました。


1年後にまた来日した際は、リーダーズダイジェスト東京支社の庭園の仕事の依頼を受け、また当時の岐阜市長の依頼で岐阜提灯をモチーフにした「あかり (Akari)」シリーズのデザインを開始します。


同年、結婚しますが、その相手が、歌手で女優であった山口淑子(李香蘭)でした。(後に1955年に離婚することになります)

 

同時期に、鎌倉の北大路魯山人に陶芸を学び、素焼きの作品制作に没頭していたため、新婚であった住まいは、魯山人の邸宅敷地内に構えたアトリエ兼住まいでした。

 

北大路魯山人


同年、広島平和記念公園のモニュメント(慰霊碑)にノグチのデザインが選ばれましたが、原爆を落としたアメリカの人間であるとの理由で、選考から外れています。


しかしノグチのデザインの一部は、平和公園にある丹下健三設計の「原爆慰霊碑」に活かされています。


丹下はこのプロジェクトにノグチの起用を推挙したそうです。

 

平和公園原爆慰霊碑


また、戦災復興都市計画に伴い計画され、平和公園の東西両端に位置する平和大橋・西平和大橋のデザインはノグチの手によるものです。


ノグチは後年、アメリカ大統領の慰霊碑を設計したこともありますが、こちらは日系であるとの理由で却下されました。


山口淑子と離婚後、1961年からはアメリカに戻り、ニューヨーク州のロング・アイランドシティにアトリエを構え、精力的な活動をし始めます。


まずはアメリカの企業IBM本部に2つの庭園を設計し、幼少の頃に住んでいた神奈川県にある「こどもの国」で、遊園地の設計が実際の計画に移されました。


そして1968年にホイットニー美術館において大々的な回顧展が開催され、1年後の1969年には、シアトル美術館に彫刻作品『黒い太陽』を設置しました。

 

黒い太陽


また、東京国立近代美術館のために『門』を設置しています。


この年、ユネスコ庭園への作品素材に香川県の庵治町(現・高松市)牟礼町で産出される花崗岩の庵治石を使ったことをきっかけに、牟礼町にアトリエを構え、「あかり (Akari)」シリーズを発表します。


ここを日本での制作本拠とし、アメリカでの本拠・ニューヨークとの往来をしながら作品制作を行うようになります。

 

とにかく、これ以降もずっと何かしらの素晴らしい賞を受賞し続けます。


1970年には、大阪で行われた日本万国博覧会の依頼で噴水作品を設計し、4芸術協会主催によるパーム・ビーチ彫刻競技会にて作品『インテトラ』が2等受賞。


同時期に、東京の最高裁判所の噴水を設計しています。


1984年からロング・アイランド・シティにあるイサム・ノグチ ガーデンミュージアムが一般公開され、同年、コロンビア大学より名誉博士号を授与され、ニューヨーク州知事賞を受賞。

 

1986年開催のヴェネツィア・ビエンナーレ(第42回)のアメリカ代表に選出され、同年日本の稲森財団より京都賞思想・芸術部門を受賞。


また1987年には、ロナルド・レーガン大統領からアメリカ国民芸術勲章を受勲しました。


1988年に勲三等瑞宝章を受勲し、今回ご紹介する『モエレ沼公園』の計画に取り組みました。


これは公園全体を一つの彫刻に見立てた「最大」の作品でしたが、先に述べた通り、ノグチはその完成を見ることなく同年12月30日、心不全によりニューヨーク大学病院で84歳の生涯を閉じました。


母レオニーの命日に1日だけ先んじ、ノグチもその天命をまっとうしたのです。

 

この幼少期に苦労し、戦争に翻弄されながら、数々の成功を収めた人生は、映画や舞台の題材になりました。


2010年11月20日、松井久子監督によるノグチの母を題材とした日米合作映画『レオニー』が公開され、2013年8月には、宮本亜門原案・演出による舞台『iSAMU〜20世紀を生きた芸術家 イサム・ノグチをめぐる3つの物語〜』が、3年の創作期間を経て上演されました。

 

宮本亜門


経歴を見てわかる通り、非常に多くのことに手を出してそれぞれの分野で結果を出し、さらには、周りの人物が有名人だらけの異端な人生を歩んできた人物かと思います。


さて、そんな人物が最後にマスタープランを残した公園とは、いったいどのようなものなのでしょうか。


まず、モエレ沼公園は夏季営業と冬季営業の2種類に分かれます。


簡単に言えば、雪があるかないかです。


雪のあるなしで、できること、できないことが違ってくるので、シーズンによって営業中、休業中のものに分かれます。


冬は、下記のようなことができます。


・ソリ遊びエリア(モエレ山)・歩くスキーコース


・イサムノグチギャラリー


基本は、この広大な公園と雪を利用したウィンタースポーツが主です。


とはいえ、基本は公園ですから、ソリ遊びが主で、モエレ沼公園の歩くスキーコースもあり、のんびりと、長靴やスノーシューで散歩できます。

 


夏は、下記のような施設が解放されています。


・レンタサイクル


・モエレビーチ


・アクアプラザ&カナール


・海の噴水


・サクラの森(遊具エリア)


・モエレ山


・テトラマウンド


・プレイマウンテン


・ミュージックシェル


・野外ステージ


・スポーツ施設


レンタサイクルで自転車を借りて、広大な土地をのんびり周ると、自然や彫刻などが一気に楽しめます。

 


ガラスのピラミッドは、公園の文化活動の拠点となる施設で、公園を象徴するモニュメントです。


ルーブル美術館のガラスのピラミッドを思いだす方もいらっしゃるかもしれません。


この建物は、ノグチの友人である建築家イオ・ミン・ペイが手がけたルーブル美術館のガラスのピラミッドへのオマージュと言われています。

 

ガラスのピラミッド


また、イサム・ノグチギャラリーをはじめ、彫刻展示室、休憩場所として使える1階・2階のアトリウム、レストラン、テイクアウトショップ、総合案内所、売店、屋上展望台、トイレ、水飲み場があります。


モエレ沼公園に初めて来た際には、まずはガラスのピラミッドを訪れて情報収集しましよう。


ガラスのピラミッド前には、ミスト噴水があり、暑い夏には、子供も大人も突然の霧に大喜びです。

 

ピラミッド前


1階のアトリウムにはベンチがあります。

 

自然と一体化した大きな空間には、太陽光が差し込み、アトリウムは、週末にはイベントの開催場所としても利用されています。

 

1階アトリウム


また、このアトリウムにはイサム・ノグチの石彫作品「オンファロス」もあります。

 

オンファロス


ガラスのピラミッドの屋上展望台は開放感があり、モエレ沼公園全体を望むことができるので、初めて来た際には、広いモエレ沼公園内の位置関係を把握できるのでオススメの場所です。

 

展望台


屋外には、海辺をイメージして造られた子供たちのための水遊び場モエレビーチがあります。


こちらは夏季のみの営業ですが、周囲は遊歩道で囲まれていて、ごく緩やかなすり鉢状で浅く、最深部も45センチメートルしかありません。


小さい子の水遊びデビューにも最適です。


モエレビーチの近くには、屋外トイレも完備していて、こちらもまた凝ったデザインになっています。

 

モエレビーチ

 

トイレ


公園中心部にある、噴水池の周囲が直径48メートルを誇る巨大な海の噴水は、最大25メートルまで噴き上がるダイナミックな水の彫刻です。


1日に3~4回、水を噴き上げるプログラムが行われ、15分のショートプログラムはビッグワン、フォッグ、アーチ噴射が行われます。


40分のロングプログラムは、ビッグワンとフォッグの間に最も海らしいシーンであるビッグウェーブが組み込まれています。


さらに、夜になるとライトアップされ、昼とはまた異なる表情を楽しめます。

 

噴水


サクラの森には、プレイスカルプチャー、スライドマウンテン(滑り台)、オクテトラ、スウィング(ブランコ)、砂場、ジャングルジムなど、合計126基のカラフルな遊具があります。


遊具エリアは合計7ヶ所あり園路で結ばれていますが、全体が広いので、移動するにはレンタサイクルがあると便利です。


遊具は全てノグチによるデザインです。

 

サクラの森


モエレ沼公園最大の造形物であるモエレ山ですが、実は札幌市東区唯一の山です。


登り口は3方向5ルートあり、子供連れでゆっくり登って20分前後かかります。


標高62メートル、高さ52メートルの頂上にある展望台からは、公園全体だけでなく、札幌市内全体を見渡せます。


ちなみに、上述した冬のソリ遊びはこの場所です。

 

モエレ山


高さ30mあるフォルム型のプレイマウンテンは、大地を彫刻するイサム・ノグチの原点となった遊び山です。

 

プレイマウンテン


プレイマウンテンの正面には、ミュージックシェルがあり、観客は石段に腰を掛けて、コンサートや舞踊などのパフォーマンスの舞台を楽しむことができます。


床にはプレイマウンテンにも使用されている庵治石が敷き詰められています。

 

ミュージックシェル


その他にも様々な彫刻やスポットがありますが、多すぎて書ききれません。


ピラミッド内にはショップやレストランなどもあり、一日中いても飽きのこない造りになっています。


というより、一日で全てを回りきるのは無理です。


このように、『モエレ沼公園』は建築物ではありません。


しかし、非常に広大な公園で、多くの人々が集まり、人それぞれ、様々な楽しみ方があります。


それらを全体として1つの常に変化し続ける、生きた彫刻作品として仕上げたのが、ノグチの最期の作品である『モエレ沼公園』だったのです。


札幌には、他にも様々な観光スポットがありますが、時にはのんびりこういった場所に行ってみるのもいいかもしれませんよ。