日本のすばらしい建築物

日本に現存するすばらしい建築物を紹介するブログ

鎌倉文学館(旧前田利為鎌倉別邸)

こんにちは、ニュースレター作成代行センターの木曽です。

 

相模湾を見下ろす高台の広大な敷地に、鎌倉文学館(旧前田利為鎌倉別邸)があります。

 

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鎌倉文学館のベランダからより

 

現在は、鎌倉ゆかりの文豪(夏目漱石、芥川龍之介、川端康成等)の生原稿や使っていた文房具などが並べられ、特別展示ではとても面白く興味深い企画が行われています。

 

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小津安二郎展 2013年12月7日~2014年4月20日

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冬柏山房に集まった文人たち展 2014年12月13日~2015年4月19日

 

旧前田利為邸は、1890年頃に、 第15代当主の前田利嗣侯爵がこの地に土地を手に入れ、和風建築の館を建てたことから始まります。


1910(明治43)年に火事により、建て替えを余儀なくされ、その際に洋風の建物として再建されました。

 

そして、今度は、1923(大正12)年に、関東大震災で倒壊してしまい、それを再建したのが、第16代当主の前田利為です。

 

この時の建物はレンガ造りの二階建で、1927(昭和2)年には、庭園も完備していました。

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前田利為

 

実はこのわずか10年ほどで、利為はこの建物に手を加え、全面改築することになります。
この2度目の建築工事が完成したのが昭和11年です。

 

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長楽山荘 昭和11年:利為が「長楽山荘」と命名

 

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 長楽山荘内部 昭和11年

 

2度目の建築工事が行われた理由は、まず水道、電気、ガスの普及などに伴い全面的な改築の必要が生じたことです。

 

また、昭和6年の満州事変による日中間の構想や、五・一五事件や血盟団事件などの特権階級をねらった事件が相次いだため、家族の身を案じた利為が本居を鎌倉に移すことを計画したからだと伝えられています。

 

昭和に入り、世の中はますます不況に陥り、軍国主義にひた走っていきました。

 

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 満州事変:1931(昭和6)年、満州(今の中国東北北区)でおきた日本軍と中国軍との武力衝突

 

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5.15事件を伝える大阪朝日新聞

1932(昭和7)年5月15日武装した大日本帝国海軍の青年将校たちが総理大臣官邸に乱入し、内閣総理大臣犬養毅を殺害した事件。

 

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血盟団事件:1932年日蓮宗僧侶の井上日召を盟主とした集団「血盟団」が起こしたテロ事件。

 

戦後は、デンマーク公使が別荘として使用し、昭和39年からは佐藤栄作元首相が借りて、亡くなる前まで週末の静養地として愛用していました。


3階のバルコニーの窓を大きく開け放っては大声で演説の練習をしていたそうです。


またノーベル平和賞の受賞の知らせも、この館で受け取ったと言われています。

 

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佐藤栄作元首相

 

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 ノーベル賞の賞状とメダルを記者団に公開する佐藤栄作元首相と寛子夫人(1974年12月19日、羽田空港にて)

首相在任中に非核三原則を提唱するなど太平洋地域の平和に貢献したとして、アジア初のノーベル平和賞を受賞する

 

その後1983(昭和58)年に第17代当主前田利建から鎌倉市に寄贈され、1985(昭和60)年から一般公開されています。

 

この建物の設計は渡辺栄治で、前田家懇意の竹中工務店が施工しました。

 

渡辺栄治は、前田家のお抱えでしたが、他の作品は資料がなく、よくは知られていません。

 

この別邸は、本邸の時とは違って、鎌倉別邸の建て替えに、利為は並々ならぬ情熱をそそぎ、何度も足を運んでいたそうです。

 

改築工事の主なものとしては、本館のほか茶室、家職員住宅二棟、倉庫、庭園の整備などで、本館の地階部分には事務室、宿直室、女中室等がありましたが、現在、鎌倉文学館の事務室及び講座室となっています。

 

また、この別邸をご紹介するには、三島由紀夫がかかせません。

 

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三島由紀夫:小説家・劇作家・評論家・政治活動家

 

三島由紀夫が『春の雪』を執筆した頃、佐藤栄作元首相が休養に借りていた時で、三島由紀夫の母・倭文重(しずえ)と佐藤元首相の妻、寛子が親友であったことから、三島はこの建物を訪れています。

 

よほど印象的だったのか、彼はその体験を自らの小説の一場面に用いています。

 

その文章は、「庭園建築の美しいロケーションを語り尽くして余りある。

館の背景に緑豊かな山を背負い、全面に由比ヶ浜の海を借景とした階段状のイタリア式庭園が日差しをいっぱいに受け止めている。」といった具合です。

 

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春の雪 2005年 主演:妻夫木聡 竹内結子 原作 三島由紀夫

2005年公開されたこちらの映画が最近では一番新しいものです。

今までに、テレビドラマ化や舞台化などされています。

 

 

1942(昭和17)年に、戦争が始まると利為は、4月6日ボルネオ守備軍司令官に親補(天皇陛下よる任命)され、4月25日に出征します。


しかし、9月5日戦場視察の途中、ボルネオ・パトウ岬沖合上空で非業の死を遂げました。

 

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ボルネオ島の戦いの作戦図

 

飛行機の墜落は、事故とも撃墜されたともいわれていて、本当のところは不明です。


戦時においても軍人の事故による死亡は陣没(殉職)ですが、、利為の場合は特に戦死と認定されました。


それは、戦死だと相続税が免除されるためだといわれています。


不思議なことに、最初は、通例どおり陣没(殉職)だとされたのですが、莫大な相続税目当てで「陣没」としたのではないか?という批判が国会で上がり、なんと原因がはっきりとしないまま、戦死ということが決まりました。


利為は大変に人望が厚い人物だったため、彼の名誉とその財産を守りたかったという人物たちがいたのかもしれません。

 

それでは、旧前田利為邸をご案内しましょう。

 

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「青葉に包まれた迂路を登りつくしたところに、別荘の大きな石組みの門があらわれる。

(中略)先代が建てた茅(かや)葺(ぶ)きの家は数年前に焼亡し、現侯爵はただちにそのあとへ和洋折衷の、十二の客室のある邸を建て、テラスから南へひらく庭全体を西洋風の庭園に改めた。」
  「春の雪」より 『決定版三島由紀夫全集』13 新潮社

 

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この文学館を訪れて最初に迎えてくれるのは、建物までの深い緑の道です。

 

遠くからは建物がのぞめますが、近くに寄ればよるほど、建物の姿は見えません。


そして、いつしか、重厚な雰囲気の石のトンネルが現れます。

 

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招鶴洞


招鶴洞(しょうかくどう)と名づけられたトンネルです。

 

招鶴洞は、源頼朝が鶴を放ったという故事から名付けられたそうです。


少し怖いような、ここは異世界の入口になるのか?一人だとそんな気さえしてきます。

 

そしてそのトンネルをくぐり少し歩くと、明るくひらけた芝生と建物が目に飛び込んでくる意匠となっています。

 

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建物は、鉄筋コンクリート造りの平屋に木造2階建てをのせた3階建てです。


庭から見ると、2階建てのように見えるように、庭が高くなっていて、玄関が2階で1階は地下のような造りになっています。

 

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裏側:庭からみた建物

 

鮮やかな青色のスマニッシュ瓦と明るいクリーム色の外壁、庭の緑とコントラストが見事に調和しています。


屋根は切妻で八角形の塔屋風のベイウィンドウが印象的です。


なんとなく落ち着かないのは、おそらく建物が非左右対称だからでしょう。


小さな建物が肩を寄せ合って並んでいるかのようで、なかなか面白い建物です。

 

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玄関

 

 門のような玄関ポーチの柱部分には透かし装飾がほどこされています。

 

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玄関:正面

 

内部は、撮影禁止のため写真はとれませんでしたが、内装はとしてもシンプルで、直線や単純な図形を貴重としたアール・デコ風になっています。

 

玄関の階段や暖炉には大理石が使用され、床はモザイク模様の寄木造です。

 

 

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アールデコ風のアーチ窓第3寝室外から

 


白い壁に外装とは違う濃い茶色の柱の直線がすっきりした印象を受けます。


ところどころには、丸窓や六画窓に取り付けられたステンドグラスが鮮やかな光を放っていて美しく目を引きます。

 

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2階の第3寝室のステンドグラス

 

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インターネットには内部のステンドグラスの一部が公開されていました。

 

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居間のステンドグラス

 

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ベランダに面した2階の窓上部のステンドグラス

 

3階は老朽化の問題のため、非公開となっています。

 

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ベランダに出て、広い庭を見渡すと、周囲は森に囲まれ、とても静かです。

 

遠くに目をやると、海まで見渡すことができ、まさに時が止まったかのようです。

 

以前とりあげた、旧前田侯爵邸(旧前田利為邸)は、お客様をもてなすための建物でしたが、こちらは家人が家族や仲の良い友人とゆっくりくつろぐための建物として作られたものだと、あらためて感じます。


利為が情熱を注ぎ、建設中に何度も足を運んだことの意味が分かる建物です。

 

そんな建物の中で展示されているのは、鎌倉ゆかりの文学者たちの直筆原稿や愛用品などです。


写真付きで紹介できないのが残念ですが、とても興味深く一見の価値があります。

 

生原稿や数々の名だたる文豪の愛用品を、この利為の愛情溢れる建物で、ゆっくり見学出来ることは、とても贅沢な時間と言ってよいのではないでしょうか。

 

駒場の旧前田侯爵邸とあわせて、この魅力的な鎌倉文学館もお勧めの建物です。