日本のすばらしい建築物

日本に現存するすばらしい建築物を紹介するブログ

博物館明治村

 

明治時代の建築や雰囲気が好き、という方は多いと思います。


現存している明治時代の建築を見るために、時間を見つけてはいろいろな場所に行くという方もいらっしゃるのではないでしょうか。


しかし、1つ1つの場所が遠く離れているので、移動中はどうしても令和の世界に戻ってしまいますよね。

 

もし、それぞれの建築を回る移動中も明治の雰囲気を味わえるとしたら・・・、ワクワクしませんか?

 

そういった場所で有名どころといえば、長崎や神戸あたりが出てきそうですが、今回は愛知県にある博物館をご紹介します。


それは、愛知県犬山市にある『博物館明治村』です。

 

「博物館」というと、1つの大きな建物の中に展示品が飾られているのをイメージしがちですが、この『博物館明治村』は全く違います。


巨大な敷地内に、明治期の建築物やSLなどを含め、67個の巨大な展示物が置かれているのです。


明治時代は、日本が門戸を世界に開いて欧米の文物と制度を取り入れ、それを同化して近代日本の基盤を築いた時代です。


飛鳥・奈良時代と並んで、この国の文化史上、極めて重要な位置を占めていいます。


従って、明治建築も江戸時代から継承した優れた木造建築の伝統と蓄積の上に、新たに欧米の様式・技術・材料を取り入れ、石造・煉瓦造の洋風建築を導入し、産業革命の進行に伴って鉄・セメント・ガラスを用いる近代建築の素地を築きました。

 

明治時代

 

これらの建築のうち、芸術上、歴史上価値あるものも、震災・戦災などで多く失われました。


また、戦後の産業の高度成長によって生じた、大小の公私開発事業により、少なからず姿を消していきました。

 

明治建築で今でもきれいに残っているものは、実はとても少ないのです。


もちろん有名な建築物が多く残っている地域もありますし、その町自体がそういった建物だらけの場所もあります。

 

しかし、昭和~平成、そして令和になり、今では現代建築、および私たちが住む住宅建築、産業建築などが圧倒的に多いのです。


その割合は、99.99%以上の建築物が現代建築となります。


だからこそ、明治期の建築物などは、逆に価値があるわけです。

 

そんな取り壊されてゆくこれらの文化財を惜しんで、その保存を計るため、「これらを保存しよう」と考えた昔の人たちがいました。

 

今はもう故人となられましたが、旧制第四高等学校同窓生であった谷口吉郎博士(博物館明治村初代館長)と土川元夫氏(元名古屋鉄道株式会社会長)です。


彼らが共に語り合い、二人の協力のもとに明治村が創設されました。

 

谷口 吉郎は、石川県金沢市出身の昭和期の建築家です。


東宮御所、帝国劇場の設計者で、庭園研究者でもあり、東京工業大学教授もしていました。

 

谷口吉郎

 

土川元夫は、名古屋鉄道(名鉄)を一地方の鉄道会社から、多角的・全国的な事業展開を行う複合企業体へと変貌させ、「名鉄中興の祖」とも呼ばれています。


隣接する近畿日本鉄道(近鉄)の社長・会長を長く務めた佐伯勇を生涯ライバル視し、双方が社長在任中は事業展開の途上でもあった関係で、数々の「企業間争い」(事業テリトリーの奪い合い)を演じました。

 

土川元夫

 

ちなみにですが、『博物館明治村』は、「博物館」でもあり「テーマパーク」でもあります。


広大な敷地内では様々なイベントも催されています。

 

ぶっちゃけると、建築物が好きでもそうでなくても、楽しめる設計となっています。


しかしながら、展示されている建築物はどれも歴史的価値が大きく、建造物の多さやその広さから、ドラマの撮影やアニメのモチーフにも頻繁に使われています。


また、全ての展示物が「明治期」のものというわけではなく、「大正期」のものも含まれます。

 

この博物館が作られた経緯は下記のような感じです。

 

価値ある建築物ほど、現状(元の場所)のまま保存するのがベストではあります。


しかし、1960年代当時は、経済発展(新しい街づくり)が最優先された時期でもありました。


次善の策として、土地開発の妨げになるなどの理由で保存が難しい(建築物の歴史的価値を認めて貰えない)建築物を譲り受けて移築し、修復・保存することが構想されました。


そして、そのための財団法人が、1962(昭和37)年7月16日に設立されました。

 

当初の計画では、集客に有利な東京も候補地の一つとなっており、別件で偶々買収した荒川区内の大和毛織工場跡地が当初考えられていました。


なお、その土地は東京球場建設候補地となったため約2/3を売却しましたが、残りは子会社のニュー東京観光自動車が事業用地として保有を続けました。

 

東京球場

 

最終的に、名鉄が用地の寄付をはじめ財政面で全面的に援助し、1965(昭和40)年3月18日、『博物館明治村』は犬山市の入鹿池のほとりにオープンしました。


開村当時の施設は、「札幌電話交換局」、「京都聖ヨハネ教会堂」、「森鷗外・夏目漱石住宅」など15件でした。

 

森鴎外・夏目漱石住宅

 

そして、2007(平成19)年には、博物館の敷地は2倍近くの100万平方メートルに広がりました。


施設数も、蒸気機関車等も含みますが、67件に達しました。


移築された建物には、重要文化財に指定されたものが11件(14棟)あり、それ以外のほとんどの建物も登録有形文化財に登録されています。


鉄道、郵便、酒造業、病院、裁判所、芝居小屋、学校、教会、灯台など、明治の社会、文化の様々な領域を取上げ、当時の建物とその内部の関連の展示で、一望することが出来るようになっています。

 

歴史的に貴重な文化財を保存しているとともに、明治時代を追体験できる日本のテーマパークの走りともいえる博物館です。


鉄道資料は静態保存だけでなく、旧京都電気鉄道(後に京都市電)の車両(狭軌1型)や蒸気機関車(名古屋鉄道12号 - 旧鉄道院160形)など、明治の車両を動態保存していることも特筆すべきといえるでしょう。

 

そう、動態保存なので、乗れるのです。


いずれも館内移動用の乗り物として実際に乗車できます。

 

旧京都電気鉄道

 

大正期の建築物としては、1920(大正9)年建築の坐漁荘(ざぎょそう)、1923(大正12)年建築の帝国ホテル(中央玄関)、1927(昭和2)年建築の川崎銀行本店などがあります。

 

坐漁荘

 

川崎銀行本店

 

現在、名鉄は経営主体かつ「明治村」という名称の商標権者ですが、実際の運営は2003(平成15)年に設立された同社の子会社「名鉄インプレス」により行われています。


建物の復元もしばらく中断していましたが、阪神・淡路大震災で被災し、解体保存されていた芝川又右衛門邸(旧所在地は西宮市。武田五一設計)の再建が2005(平成17)年1月からはじめられ、2007(平成19)年9月に公開されました。


新規公開は、中井酒造以来13年ぶりとなります。

 

芝川又右衛門邸

 

代表的な展示物は下記のようなものがあります。

 

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・西郷従道邸(さいごうじゅうどうてい)

 

フランス人建築家レスカスによるものとされる、西郷隆盛の弟従道の邸宅の接客用の洋館です。


明治10年代の初めに建設された、木造2階建て銅板葺の住宅です。


1964(昭和39)年に、西郷山と呼ばれている東京都目黒区青葉台から移築されました。


内部で展示されている調度品の多くは、鹿鳴館や赤坂離宮で使用されたものです。
2階のベランダは、雨水を流すため若干の傾斜をつけるなどの細やかな工夫が随所に見られます。


明治村移築前は、国鉄スワローズの選手宿舎として使われ、畳を敷いていたとされます。


移築にあたっては、名鉄が保存していた国鉄キハ6400形蒸気動車の所有権を国鉄に返却し、等価交換してもらう形をとったようです。


「旧西郷従道住宅」として、1965(昭和40)年5月29日に重要文化財に指定されました。

 

西郷従道邸

 

西郷従道

 

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・聖ヨハネ教会堂

 

宣教師でもあるアメリカ人建築家ガーディナーの建築です。


日本聖公会京都五条教会として、1907(明治40)年に建てられています。


木造煉瓦造二階建て銅板葺で、細部はゴシック風となっています。


1964(昭和39)年に移築されました。


「旧日本聖公会京都聖約翰教会堂」として、1965(昭和40)年5月29日に重要文化財に指定されました。

 

聖ヨハネ教会堂

 

ガーディナー

 

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・品川灯台の建造に使用された「ヨコスカ製鉄所煉瓦」の刻印部分

 

品川灯台は、もと東京湾品川沖の第二台場に建設された円形燈台で、フランス人技師レオンス・ヴェルニーらの設計です。


1870(明治3)年点灯で、避雷針先端までの高さは約9メートルです。


現存する洋式灯台では日本最古のものとされています。


1964(昭和39)年に移築されました。


「旧品川燈台」として、1968(昭和43)年4月25日に重要文化財に指定されました。

 

品川灯台

 

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・菅島燈台附属官舎(すがしまとうだいふぞくかんしゃ)

 

菅島燈台は、伊勢湾の入り口、鳥羽沖合の菅島に1873(明治6)年に建てられた灯台です。


附属官舎も同時期の建設で、灯台守の宿舎として使われました。


イギリス人技師リチャード・ヘンリー・ブラントンらの設計です。


ブラントンの指導の下、竹内仙太郎が製造した菅島灯台建造用煉瓦が使用されています。


煉瓦造平屋建てで、三重県鳥羽市の菅島より1964(昭和39)年に移築されました。


「旧菅島燈台付属官舎」として、主屋と倉庫がそれぞれ、1968(昭和43)年4月25日に重要文化財に指定されました。

 

菅島燈台附属官舎

 

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・札幌電話交換局

 

通信手段が飛躍的な進歩をとげていた1898(明治31)年に建設され、1900(明治33)年から電話交換業務を開始しています。


防火の観点から、札幌軟石を用いた石造で建てられました。


2階窓下には花紋が連続しています。


1965(昭和40)年に移築されました。


「旧札幌電話交換局舎」として、1968(昭和43)年4月25日に重要文化財に指定されました。

 

札幌電話交換局

 

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・呉服座(くれはざ)

 

1892(明治25)年に、大阪府池田市に建設されました。


木造2階建て杉皮葺きで、歌舞伎や芝居の他、演説会場としても使われ、尾崎行雄、幸徳秋水も演説を行っています。


「旧呉服座」として、1984(昭和59)年12月28日に重要文化財に指定されました。


1993(平成5)年6月1日から6日まで、地元テレビ局のテレビ愛知の開局10周年記念事業として、坂東玉三郎主演の特別公演を行ったこともあります。


テレビ愛知が坂東に出演依頼を行った際、『呉服座の舞台でなら踊ってもよい』という一言から明治村を運営する名鉄の協力により開催され、合計3,371人が訪れたそうです。


最近では、朝ドラ「わろてんか」のロケ地としても有名です。

 

呉服座外観

 

呉服座内観

 

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・東山梨郡役所(ひがしやまなしぐんやくしょ)

 

1878(明治11)年に「郡区町村編制法」が施行されたことにより、1879(明治12)年1月に、根津兵衛宅であった東山梨郡平等村(現山梨市)の平徳寺に東山梨郡役所が仮庁舎として開庁されます。


その後、有志により寄付が募られ、1885(明治18)年10月10日に、旧山梨県日下部村小原西に新庁舎として建設されたのがこの建物です。


山梨県初代官選知事である藤村紫朗の推進した「藤村式建築」と呼ばれる擬洋風建築のひとつです。


木造二階建て、桟瓦で、壁は漆喰です。


大工棟梁は赤羽芳造、工事請負人・左官は、数多くの藤村式建築を手がけた土屋庄蔵です。


正面にベランダを配し、両袖に入母屋の平屋が附属した左右対称形は、当時の官庁建築としては典型的といえるでしょう。


玄関天井には、土屋庄蔵の手がけた漆喰絵が残されています。


建設費は5600円余りで、1923(大正12)年3月の郡制廃止まで郡役所として利用され、1927(昭和2)年3月から1962(昭和37)年まで日下部警察署庁舎となりました。


その後は山梨市の鶴田栄一が所有し、1964(昭和39)年9月に明治村に寄贈され、同年10月から翌年7月にかけて移築が行われました。


またこの建物には、1906(明治39)年5月30日に作家の森鷗外が訪れています。


鴎外は当時軍医監として地方視察を行っており、『自紀材料』にその様子が記されています。

 

東山梨郡役所

 

森鷗外

 

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・東松(とうまつ)家住宅

 

1901(明治34)年頃に建築された、愛知県名古屋市中村区の堀川沿いにあった商家です。


油商を営んでいた東松家の居宅で、塗屋造という、江戸時代以来の伝統工法で建てられています。


木造建築では珍しい3階建てで、1965(昭和40)年に移築されました。


「旧東松家住宅」として、1974(昭和49)年2月5日に重要文化財に指定されました。

 

東松家住宅

 

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・帝国ホテル中央玄関

 

帝国ホテルは、関東大震災と同年の1923(大正12)年竣工の建物です。


皇居を正面にして、東京都千代田区内幸町に建てられたホテルは、総面積34,000平方メートル余りの大建築でした。


フランク・ロイド・ライトの代表的作品として知られ、同ホテルの建て替え構想が発表されると、日・米両国で保存を求める声が高まっていました。


記者会見でコメントを求められた佐藤栄作首相により、明治村に再建する案が提示されました。


ホテルは1967(昭和42)年に取り壊され、1976(昭和51)年から十数年の歳月をかけて移築工事が行われ、1985(昭和60)年に再建されました。


玄関部分だけとはいえ、明治村最大の建物となっています。


「明治村帝国ホテル中央玄関」として、2004(平成16)年2月17日に登録有形文化財に登録されました。

 

帝国ホテル中央玄関

 

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・リング精紡機

 

東洋紡の前身の1つである三重紡績所の四日市工場で使用されていたもので、1893(明治26)年にイギリスのプラット社から購入したものだそうです。


日本の近代産業史上貴重な資料として、1999年(平成11)年に国の重要文化財に指定されています。


日本機械学会「日本の工作機械100選」にも認定されています。

 

リング精紡機

 

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・菊花御紋章付平削盤

 

こちらも、日本機械学会「日本の工作機械100選」に認定されています。


1879(明治12)年に製造され、工部省赤羽工作分局で岩手県の船舶修理工場向けに造られました。


同分局で製作された機械の中で現存する唯一のものです。


この平削盤は岩手県立盛岡工業高等学校の所蔵で、同校から博物館明治村に寄託されました。


2001(平成13)年、国の重要文化財に指定され、2014(平成26)年、機械遺産No.67に認定されました。

 

菊花御紋章付平削盤


まだまだ多くの展示品があります。


そして非常に広大なため、一日かけても全て回り切れないかもしれません。


また、ドラマ撮影などのロケ地になった場所が多くあるため、ロケ地ガイドなどもあります。


明治村を利用した「人生ゲーム」といった遊びもあります。

 

このように、大人から子供まで、十分に楽しめる場所となっている『博物館明治村』。


建築を見るのはもちろん、その他のイベントも魅力的です。


ぜひ一度訪れてみてはいかがでしょうか。