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日本のすばらしい建築物

日本に現存するすばらしい建築物を紹介するブログ

駒井家住宅(博士が愛した自宅)

こんにちは、ニュースレター作成代行センターの木曽です。

 

京都市左京区北白川の閑静な住宅街に可愛らしい住宅があります。

 

派手なことは決してなく、印象としては窓が大きくて多く、その住宅の周りには綺麗に整備されすぎていない、自然の庭がそこにはあるのです。


この住宅は、1927(昭和2)年に、現在の京都大学で教授を務めていた駒井卓博士・静江夫妻の住まいとして建てられました。

 

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北白川の疎水沿いに桜並木の散歩道があり、そこをのんびり歩いているとその建物は見えてきます。


このあたりは、大正から昭和にかけて開発された住宅地として知られ、とても閑静な地区のため大学関係者や文化人が好んで住んでいて「学者村」と呼ばれていました。


この建物が建設された当時は、田園の広がるのどかな農村地帯で、周辺にはほとんど建物がなかったようです。


しかし、そんな場所だったからこそ、駒井はこの家を愛しました。


「家が続々建って花畑が減じても、今のところでは なお空くばかりの田園味がのこっておる。 (略)それだからどこへ旅しても北白川に帰らねば落ち着かぬ」(昭和4年9月10日大阪朝日新聞) という文章を残しています。

 

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当時の写真


駒井は日本のダーウィンと呼ばれた人物です。


日本の動物遺伝学、動物分類学に大きな功績を残しました。

 

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駒井卓

 

駒井は1886(明治19)年5月兵庫県姫路市に生まれ、当初は福田姓を名乗っていました。


姫路中学から東京高師博物学科に進学し、卒業後は一度は教員として数年間教壇に立っています。


その後東京帝大理学部動物学選科に入学し6年の修了の後、京都帝大理学部助教授となり、数年後に理学博士の学位をとりました。


そのころから、夫婦ともども欧米に留学しコロンビア大学でショウジョウバエの研究に従事しました。


この研究が駒井が日本の遺伝学を導いたきっかけになるのです。


動物遺伝学で特に重点を置いた「ショウジョウバエと人間」に関する方面の論文だけでも40篇をこえ、また動物分類に関する方面の論文だけでも50篇をこえます。


その後、東大教授、京大理学部長、京大名誉教授、日本学術会議会員、日本遺伝学会々長と歴任し、日本学界のために力を注ぎました。


遺伝研究を退官したあとも、後輩の育成に尽力したといいます。

 

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遺伝学に基づく生物の進化(培風館)

 

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人類の遺伝学(培風館)

 

駒井は、関わった多くの友人や弟子たちから大変慕われた人物です。


威厳がありながら、常に温厚で、指導も的を得ていました。


口やかましくなく、弟子がしたいように見守り、それでいて、指導の必要な部分には時間を多く割いてくれたと言います。


特に、英語論文の添削に時間を割き、論文を一緒に推敲してくれましたが、決して連名にするようには言いませんでした。


また、駒井は胃腸が弱かったようですが、それを苦にも思わず一病息災として受け入れていたのには、器の大きさを感じます。


自邸にも学生や学者仲間たちがよく訪れて議論を交わしたり、夫人も一緒にガーデンパーティーを楽しんいました。


夫人の静江さんは日本基督教矯風会で京都支部長を務め、日本代表の一員として国際会議に出席したりと大変活躍された女性でした。


この仲の良い夫婦と、のどかな自然と訪問者の笑顔に包まれた自邸は幸せに満ちていたことでしょう。

 

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駒井教授と妻・静江

 

駒井は友人や弟子たちに愛されながら、1972(昭和47)年7月86歳でこの世を去ります。


葬儀は、今回ご紹介する白川の邸宅で清楚に行われ、遺骨は夏を楽しく過ごした静岡の山荘に近い霊園に納められました。

 

この駒井が愛した自邸ですが、実は昭和21年から25年頃の間、GHQ(アメリカ占領軍)に接収されていました。


アメリカ様式を基本につくられたこの邸宅はとても都合の良いものだったのでしょう。
主屋に2組以上の家族が暮らし、駒井夫妻は同じ敷地内にある10坪ほどの小さな離れで生活することになりました。


この離れは、もともと書生さんや下宿の学生さんのための部屋でした。

 

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北側離れ


しかし、駒井夫妻と米兵の家族たちの関係は良好なものだったと言います。


主屋を追い出され、大切な庭を踏みつけられ、残念は思いはしていたようですが、同じ敷地内に住み、お互いの思いやりや心が通じ合う場面を通して、一種の友情に似た感情を持っていたようです。


そして、接収が終わり再び母屋に戻り、夫妻は亡くなるまでこの自邸で暮らしました。

 

しばらくは、ご長男が受け継ぎ、維持保管していましたが、2002年に財団法人日本ナショナルトラストへ寄贈されることになり、現在も当時の状態に復元していきながらボランティアの協力もありながら維持管理されています。

 

この建物の素晴らしさは、一つは駒井教授と夫人が過ごしていたこと、もう一つはヴォーリズが設計したことにあります。


日本で数多くの西洋建築を手懸けたウィリアム・メレル・ウォーリズは建築家であり、
熱心な基督教徒で日本に様々な影響を与えた人物と言えます。

 

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ウィリアム・メレル・ウォーリズ

 

ウォーリズは1880(明治13)年アメリカカンザス州で生まれ、幼い頃から教会の礼拝に出席し、幼児で洗礼を受けています。


1900(明治33)年にコロラド大学に入学し、大学ではYMCA(キリスト教青年会)の奉仕に熱心に取り組んでいきます。


またこの時点で、建築家になることを夢見て学問に励んでいました。


しかし、海外へのキリスト教伝道の大切さも実感しており、建築家と宣教師のどちらを選択するのか葛藤をしています。


そして、ついに海外伝道の決意をし、大学の課程を哲学科に変更して、YMCAの活動に本腰を入れていくとになるのです。

 

YMCA(キリスト教青年会)は、キリスト教プロテスタント系を基盤とする団体で、120を超える国と地域に広がっています。


創設者がジョージ・ウィリアムズ他12人のキリスト教青年によって、産業革命下のイギリスロンドンで誕生しました。

 

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ジョージ・ウイリアムズ

 

YMCAは、青年はもとより世界すべての人にチャイルドケア、青少年の育成、発達障がい児支援、国際ボランティア等の活動している非営利団体です。


最大の特徴は、活動理念の根幹にキリスト教精神はありますが、相手の信仰に応じて差別しないで活動していることです。


キリスト教者に限らないで行っている青年層に対する啓蒙が、より若者の心をつかみ受け入れらているのでしょう。

 

ヴォーリズは、1904(明治37)年に、日本の滋賀県の高校が英語の教師を求めていると聞き、翌年には来日します。


赴任した滋賀県県立商業学校ですが、近江商人の士官学校と言われ、成功した商人の息子も多く通っていました。


もちろん、将来は近江商人となるべく学問に励んでいましたが、ヴォーリスが開催していたバイブルクラス(聖書の学び)にその生徒たちが多く集まるようになったのです。


しかしそれには地元の人々から強い反感を買うことになります。


そして、2年ほどで契約は打ち切られ、教師の職を失うことにつながることになりました。

 

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八幡基督教青年会館1935年竣工 

旧YMCA会館で、ヴォーリズが最初に設計した建物です。


八幡基督教青年会館は、ヴォーリズの私財とアンドリュース家からの寄付金で建てられました。


しかし、これが一番の原因で地元からの反発を得ることとなります。

 

教職を失ったヴォーリスですが、いったん帰国して建築家レスター・チェーピンと商業高校の教え子で卒業したばかりの吉田悦蔵青年の3人で京都のYMCA内にで建築監督事務所を開業します。


これが、後のヴォーリズ建築事務所となるのです。


ウォーリズの数々の建築の中でも、「大丸心斎橋店」「同志社大学」「東華菜館」といった大きなものから、日本全国の基督教教会や礼拝堂を多く手掛け、今でも各地に残っています。

 

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大丸心斎橋店:建て替えが決まり、平成31年にオープンする予定で、外観のみ残す予定となっています。

 

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大丸心斎橋店:入口に施された彫刻 1933(昭和8)年竣工

 

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東華菜館(京都):1926(大正15)年竣工

 

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東華菜館:入口

 

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軽井沢ユニオン:1918(大正7)年竣工

 

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軽井沢ユニオン:室内


明治の後半にもなると、西洋建築も多く受け入れられ、基督教の教会や礼拝堂の建設には、その知識と理解がある建築家が大変貴重だったことでしょう。


ヴォーリス自身が宣教活動に積極的だったことを思うと、全国の教会やYMCAから多くの設計を依頼されたのも容易に想像がつきます。


また順調に設計事務所が発展していくに連れて、さまざまな建設に関して輸入しなければならないものが増えてきます。


西洋建築に必要な建材や金具、ステンドグラス、西洋家具、オルガン・ピアノなどです。


そして何より、宣教活動の資金として経済的な安定を求めていたこともあり、輸入会社として1910年(明治43)年近江セール株式会社(現・株式会社近江兄弟社)を村田幸一郎・吉田悦蔵と共に設立しました。


近江兄弟社と言えば、すぐに思い浮かぶのは「メンソレータム」ではないでしょうか。


このメンソレータムの輸入販売を行ったのがきっかけで日本に広く普及しました。

 

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メンソレータム新聞広告:大阪毎日新聞 昭和13年12月18日

 

スースーする有効成分メントールが入った世界に愛され続ける家庭用皮ふ薬です。


唇の乾燥を防ぐリップとして特に日本では人気です。

 

あれ?メンソレータムはロート製薬では??とお察しの良い方は思われるかもしれません。


実は、後にこの近江セールズ株式会社が破綻し会社再建のために、メンソレータムのライセンス(商標・輸入・製造・販売権)を返上します。


そのライセンスをロート製薬が取得し、その後1988年にメンソレータム社を買収して自社の海外拠点としています。

 

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メンソレータム:リトルナース

 

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ちなみに、現在、近江兄弟社は大鵬薬品工業の資本参加などで再建し、近江兄弟社では主原料や効能はメンソレータムとほぼ同じで、同じ製造機器を使って新たに作り出したメンタームを販売しています。


店頭に行くと、リトルナースの代わりに、メンタームキッドがデザインされたリップなどを見かけることが出来ます。


価格は、メンソレータムの方が高めに設定されているようで、メンタームはお手頃価格で購入できます。

 

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メンターム:メンタームキッド(ギリシア神話の医術神アポロンをモデルとしています)

 

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メンタームリップ

 

リトルナースもメンタームキッドもモダンデザインのパイオニア『今竹七郎』のデザインです。


白鶴や共和ゴムの「オーバンド」のパッケージデザイン等を手掛けています。

 

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共和ゴム「オーバンド」のパッケージデザイン


ヴォーリズは、1919(大正8)年、38歳で子爵(旧小野藩主)の三女、一柳満喜子と結婚します。


結婚式はヴォーリズの設計した明治学院大学礼拝堂で行われました。

 

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一柳満喜子とヴォーリズ

 

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明治学院大学礼拝堂

 

ヴォーリズ夫妻は、近江(滋賀県)を中心に、医療や女学校・幼稚園といった学校教育にも力を注ぎ、妻の満喜子は近江兄弟社学園の学園長を務め、そして近江ミッションとして積極的に活動していました。

 

1941(昭和16)年には、ヴォーリズは、満喜子夫人の一柳の姓を名乗り日本に帰化します。


名前も米未留(メレル)と改めました。


その年の12月未明、日本はアメリカの真珠湾を攻撃し、第二次世界大戦が勃発してしまうのです。


日米関係が悪化してきたことを受けて、彼は帰化することを選んだのです。

 

また、ヴォーリズは皇室と縁があったようです。


近江関連の図書館や学園には、三笠宮殿下や常陸宮と一緒に映っている写真が保管されています。

 

病気で倒れたあと近江八幡氏名誉市民第一号となった彼は、1964(昭和39)年83歳でこの世を去りました。

 

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晩年の夫妻の様子


それではヴォーリズが設計した駒井家住宅を詳しく見ていきましょう。

 

静江夫人が熱心なキリスト教徒だったことから、ヴォーリズが設計にあたることになった経緯が想像できます。

 

ヴォーリズが円熟期にさしかかった時代の建物で、代表的な建物の一つです。


主屋は約30坪の木造モルタル2階建ての洋館、その北側に先に少し触れた「離れ」と「温室」があります。


「離れ」ですが、ヴォーリズが設計したものではありませんが、ヴォーリズ風に似せて違和感がないように設計されています。

 

 

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外観:テラス側(東側)

 

敷地は900㎡あり正方形に近い形で、西側に白河疎水、東に比叡山が一望できるため、東に庭を広く設け、建物を西側に寄せた意匠となっています。


当時、アメリカで流行っていたアメリカン・スパニッシュ様式が特徴で、切妻屋根の赤色桟瓦葺きです。


外壁はモルタルスタッコ仕上げで淡いピンク色の壁ですが、屋根はスペイン瓦ではなく日本の桟瓦となっています。


窓は全体的に大きいという印象で、1階にはアーチ型の窓が多く、煙突があるのも特徴と言えます。

 

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煙突:ヴォーリズの煙突と言われ、彼の特徴的な煙突デザインが面白いです。先ほどの八幡基督教青年会館にもあります。

 

東側には、煉瓦造りのテラスがあり、庭に抜けることができます。


この庭から比叡山を見ることができるのは、この土地ならではの特権です。

 

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テラス:バーコラ(藤棚)があり、煉瓦造りの空間に椅子を出せば素晴らしい景色を眺めながら安らぐことができます。

 

西側の玄関にはファザードがあり、木製の立派な扉と、扉の上部には光が取り込めるように半円のガラスがはめ込まれています。

 

玄関の丁度真上(2階)部分には、小さなアーチ型の窓が2つありますが、実は洗面所の窓です。


このデザインがとても可愛らしく、まさにスパニッシュ調を思わせてくれます。

 

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玄関

 

玄関に向かって右側には三連アーチの窓があり、これはサンルームの窓となっています。 

 

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三連アーチ窓:窓の桟はしっかりとした太さもあるため、力強くいてなめらかな印象です。

 

室内の間取りですが、1階は玄関ホール、和室、居間とサンルーム、食堂、台所となっています。


食堂から先ほどのテラスへ出ることが出来ます。


玄関の右側は、和室で6畳ほどの広さで、床の間が設けられています。


また、外からは洋風に見えるように洋風の窓の内側に障子窓があり、戸も襖の裏側に洋風の戸が合わさっているなど、工夫された作りです。

 

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1階:和室

 

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和室の襖(裏側は木製の引きドアです)

 

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サンルーム側から見た和室のドア(裏側は襖です)


玄関の正面奥は居間となっていて、サンルームとつながっています。

 

居間の出窓には腰かけられるように作り付けのソファー(ベンチ)が設置され、目の前には奥様のためのピアノがあります。


このソファー(ベンチ)の高さは、静江夫人の身長に合わせて作られており、施主への丁寧な心遣いを感じます。


暖炉は設けていない代わりに、すっきりと広い印象です。

 

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1階:居間・作り付けソファー

 

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居間の照明:照明の縁飾りが千鳥となっていて、とても可愛らしいものです。

 

サンルームの空間は広く、窓がアーチ型で淡い水色の桟が開放的で素敵です。


窓が二重構造となっています。

 

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1階:サンルーム側からみた三連アーチ

 

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サンルーム:窓は二重構造です。

居間は、朝ドラ「マッサン」でエリーの実家としてロケされた場所だそうです。

 

2階に通じる階段には、黄色のガラスが特徴的な窓があります。


この窓は、外からみると可愛らしい意匠となっており、黄色のガラスからは採光と温かみを感じます。


階段の手すりはシンプルながら、柔らかなカーブを描いています。

 

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左:階段のアーチ窓 右:玄関

 

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階段

 

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階段のガラス窓

 

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階段上から:滑らかな曲線が美しい。


2階は、主寝室とサンルーム、寝室、書斎があります。

 

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主寝室のタンス:以前は和室だったとのことで、奥様の着物タンスがぴったり埋め込まれています。

 

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2階:主寝室からサンルーム方向


サンルームからは比叡山と大文字が一望できます。

 

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2階:サンルーム

 

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比叡山と大文字

 

書斎は、博士の書斎らしく、本が並べられています。


作り付けの書棚があり、角部屋で窓が多く、明るい造りでカーテンがピンク色が特徴的です。

 

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書斎:当時のまま保存されています。

 

ドアノブが面白く、玄関に続くドアは紫のクリスタル、それ以外には透明のクリスタルが用いられています。


これは、パブリックなスペースとプライベートを区別しているもので、パブリックスペースには紫となっており、ヴォーリズの建物には時々見受けられます。

 

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ドアノブ:紫

 

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ドアノブ:透明

 

どの部屋も窓が多いうえに、空間が広くゆとりを感じさせてくれます。


それもそのはず、天井高が1階は2m60cm、2階は2m40cmもあるのです。


また、随所に作り付け家具や隠し収納があり使い勝手がよいものです。


日当たりや風通しも十分に考慮された空間と、細やかな工夫がこの家の魅力です。


離れには、博士が好きだったダーウィンの家にもあったような温室も残されています。

 

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温室

 

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温室:内部

 

駒井夫妻が晩年まで愛したヴォーリズの丁寧な仕事をぜひ一度ご覧ください。