日本のすばらしい建築物

日本に現存するすばらしい建築物を紹介するブログ

五龍閣カフェ(旧順正清水店 旧松風嘉定邸)

京都で最も有名な建築・清水寺へ向かう参道の脇から少し奥まった所に、不思議なデザインのレトロな洋館『五龍閣』があります。

 

f:id:sumai01:20171214163800j:plain

清水寺

 

この建物は2009(平成21)年、湯豆腐で有名な順正清水店として使われていましたが、同年11月、五龍閣は、順正の経営する「五龍閣カフェ」としてオープンしました。

 

f:id:sumai01:20171214163844j:plain

五龍格カフェ

 

ちなみに湯豆腐屋は、向かいに移って、「清水順正 おかべ家」としてリニューアルオープンしています。

 

f:id:sumai01:20171214163915j:plain

おかべ屋
 
五龍閣は、もとは明治の企業家であった松風嘉定の邸宅として、1921(大正10)年頃までに建てられました。

 

f:id:sumai01:20171214164005j:plain

三代目松風嘉定

 

松風嘉定は、明治3年10月に尾張(愛知県)瀬戸の陶工井上延年の長男として生まれています。


1890(明治23)年に京都の製陶業松風家を継ぎ、松風工業、日本硬質陶器、松風陶歯製造(現松風)などの会社を経営し、高圧碍子(こうあつがいし)や磁器、人工歯の生産、輸出に務めました。

 

f:id:sumai01:20171214164032j:plain

当時の松風陶歯製造

 

この事業の中でもとりわけ、歯科材料メーカー「松風」(Shofu)は現在も日本最高峰の歯科材料メーカーとしてその名をとどろかせています。


本社は京都市東山区福稲のJR奈良線の東福寺駅近隣、鴨川と琵琶湖疎水の流れとともに師団街道沿いにあり、南には有名な伏見稲荷大社があります。

 

f:id:sumai01:20171214164059j:plain

現在の松風

 

松風は元々明治時代に京都清水坂において代々輸出用陶磁器製造を生業として興り、後に窯業メーカーとして碍子や化学磁器を作っていました。

 

現在の松風の創業者松風嘉定は三代目(名を代々嘉定と称しています。)で、企業家として焼きものを作る陶工から身を興し、その才能とたゆまぬ努力により明治中期から殖産興業に傾倒し、輸出用陶磁器を始め、近代化された工場にて高電圧碍、化学磁器などの窯業製品を製作する松風工業という一大産業の礎を京都に築きました。


日本で最初の高級陶歯の製造を行い、小資本による工業組織に成功した人物です。


さらに、京セラを興した稲盛和夫氏はこの松風工業の出身でもあり、この松風という家系がなければ、京セラは今日存在しなかったと言えるでしょう。

 

f:id:sumai01:20171214164131j:plain

稲盛和夫

 

また、三代目松風嘉定の本名は常太郎と言います。

 

初代松風嘉定は尾張の国鳴海の出身で、もとは山科小栗栖の寺の住職をしながら半僧半俗の托鉢生活をしていました。


筆墨の道にも長けた僧で、趣味で陶芸を学んでおり、学問は和漢に通じ、美術品に対する鑑識の眼力は時流を抜く存在でした。


僧でありながら、芸術に長けた人物であったということです。

 

f:id:sumai01:20171214164159j:plain

愛知県地図

 

彼は清水坂に移り1848(嘉永元)年ごろから製陶業を本業としました。


当時、磁器の多くは概ね中国より渡来のもので原材料は国内で入手が難しかったのですが、初代は磁器の将来を見込んでその製造研究に傾倒しました。


この考えがのちに三代目の時代に花咲くことになります。

 

二代目松風嘉定は尾張国東春日井郡大泉村の山田家の出身です。


1842(天保13)年に生まれ、瀬戸で製陶を学び、三代目嘉定実父の井上延年と長年の仲間でした。

 

経営の才能があり、慶応2年25才の時、初代嘉定にその腕を見込まれ、養子として二代目となりました。

 

文久元年より磁器の製作を始め、1868(明治元)年より陶磁器輸出を計画し、少数工芸品より大量の工業製品の製造に興味を持ち、天草陶石を磁器の原料として製造を始めましたが、1875(明治8)年頃より内地向けの磁器製造から海外輸出の磁器の製造に着手しました。


このような背景から、京都の磁器製造の率先者の一人でもあったようです。

 

f:id:sumai01:20171214164417j:plain

松風陶磁器

 

1878(明治11)年ドイツ人のゴットフリート・ワグネルが京都舎密局(せいみきょく:オランダ語の化学セミストリが変じたもので、石鹸、ガラス、七宝焼などを製造局)に西洋釉薬導入や七宝焼指導のため赴任しました。


この時、二代目嘉定はワグネルの製陶方の御用係をしていました。


二代目は瀬戸の技法をもって京都の陶磁器の改良に努めた人でした。

 

f:id:sumai01:20171214164451j:plain

ゴットフリート・ワグネル

 

ここで、二代目の長年の仲間であった井上延年(三代目嘉定の実父)について、もう少し詳しく触れましょう。

 

井上延年は1842(天保13)年瀬戸の井上家に生まれました。


井上家は慶長以来瀬戸で陶業を営む家系であり、延年は幼少より名陶工川本治平の弟子となり、芸術肌の職人で数々の技法を編出し、独自の妙味を出し独創の天才陶師と云われた人でした。

 

朝鮮、支那の茶碗の写しなどの焼物を作り、他の追随を許さぬ技量で、1880(明治13)年5月愛知県博覧会へ行幸の明治天皇の御前で作陶を供覧しています。


また、のちに宮内庁大膳職の御用も承っています。

 

後年、瀬戸で相弟子であった旧知の友二代目嘉定を頼り京都へ出向き、1887(明治20)年京都陶器株式会社へ勤務し、1893(明治26)年に五条坂にて陶器製造を営みました。

 

1900(明治33)年東京高等工業学校(現在の東京工業大学)へ招かれ指導もしており、延年の作品は出身地である瀬戸歴史民俗資料館や愛知県陶磁器資料館に多く展示されています。


このように、松風という家系は代々陶芸などの芸術に長けた家系で、初代のころからその才能を発揮し、三代目のころ、時代の流動と重なって進化を遂げた家系であることがわかります。

 

さて、この三代目松風嘉定(常太郎)が建てた旧松風嘉定邸についてですが、この建物は「和館・洋館併設型邸宅」の洋館部に当たります。

 

f:id:sumai01:20171214164557j:plain

松風嘉定邸


この建物を設計したのは、以前ブログ内でもご紹介した「旧大阪毎日新聞京都支局」を設計した武田五一です。

 

1928ビル(旧毎日新聞京都支局ビル) - 日本のすばらしい建築物


彼はのちに京都帝国大学(現・京都大学)建築家初代教授に就任しています。

 

f:id:sumai01:20171214164814j:plain

武田五一

 

f:id:sumai01:20171214164903j:plain

旧・大阪毎日新聞京都支局

 

このような大物建築家に依頼ができたという時点で、松風嘉定がいかに財を成していたかもわかります。


また、武田は若いころにイギリスへと留学し、当時ヨーロッパで流行していたアール・ヌーヴォーやセセッションなど、新たな建築潮流の息吹を一身に浴びて帰国した建築家です。


そのため、大阪毎日新聞の建物を設計した際も、当時の日本ではかなり斬新な設計を施していました。


そして、今回の松風嘉定邸においても、従来の様式にとらわれない設計を持ち込もうとしているところが随所から伺えます。


この建築の最大の特徴は入母屋、切妻など、和洋風を取り混ぜて幾重にも重ねた瓦葦き屋根です。


さらに、屋根飾りとして寺院建築特有の「し尾」を付け、中央部の塔屋上には洋風の風見鶏まで掲げたユニークなものでした。

 

f:id:sumai01:20171214165018j:plain

屋根


その一方で、内部には3階まで吹き抜けとなる階段室を設け、アーチ窓をアールヌーヴォー風ステンドグラスで飾るなど、見るものを飽きさせない建築を作り出しています。


3階建で望楼付きなので実質4階建てとも言えます。

 

f:id:sumai01:20171214165113j:plain

階段室

 

f:id:sumai01:20171214165144j:plain

ステンドグラス窓

 

洋館として建てながらも、近くに清水寺があることを考慮し、景観を損なわないために日本屋根をのせていることもこの建築のユニークな部分の一つです。


この建物の下部分だけを見ると、洋館ですが、屋根を含めると不思議と景観を損なわないようになっているのがとても見事です。

 

f:id:sumai01:20171214165333j:plain

建物下部分

 

芸術性に秀でた家系の邸宅を見事にバランスよく作り上げた武田五一の力量が見て取れる建築の一つだとも言えます。

 

また、外観全体としては和洋折衷のバランスがとても良いのですが、この建物はあくまでも洋館として建てられたものなので、内部は完全に洋館です。


外観の庭園側は不思議な和洋折衷デザインで、一階にはサンルーム(現・喫煙室)があります。


そのサンルームの屋上が2階のテラスです。

 

f:id:sumai01:20171214165408j:plain

1階:サンルーム

 

f:id:sumai01:20171214165449j:plain

外観:サンルーム

 

旧食堂には大理石で作られた暖炉が残っています。

 

 f:id:sumai01:20171214175554j:plain

旧食堂

 

f:id:sumai01:20171214175826j:plain

暖炉

 

また、そのほかにも内装には細かくこだわった面が見受けられます。

 

f:id:sumai01:20171214165552j:plain

吹き抜けを見上げた姿

 

f:id:sumai01:20171214165702j:plain

天井の面白いデザイン

 
その後、この建物は松風嘉定の孫の代まで住まわれていましたが、幾人かの手に渡り、約40年前に順正の手に渡ったことで、湯豆腐屋として利用されました。


そして、順正経営のカフェとして2009(平成21)年に生まれ変わり、現在もその芸術的な景観を多くの人の目に焼き付けています。

 

京都清水寺に訪れた際は、お食事やコーヒーを味わいながら洋館の歴史を感じてみるのもおすすめです。