日本のすばらしい建築物

日本に現存するすばらしい建築物を紹介するブログ

インブリー館(本家アメリカのシングルスタイル)

こんにちは、ニュースレター作成代行センターの木曽です。

 

港区白金台は、かつてはごく普通の庶民の住宅街でしたが、バブル景気後半頃より洒落たレストランやカフェ、ブティックが目立ち始め、それらに伴い高級マンションが建つようになり、近年は高所得の住民も住むようになりました。

 

その一部の女性住民がマスコミにより「シロガネーゼ」として取り上げられました。

そのため、高級住宅街としてのイメージができあがりました。

 

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そんななかで、白金のキャンパスに建つ洋館、港区白金台にある明治学院のキャンパスには、歴史を感じる洋館が建ち並ぶ一画が あります。

 

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明治学院の源流の一つは、ローマ字の考案者で名高いヘボンが安政6年に宣教活動のために来日し、その一環として文久3年に横浜に開いたヘボン塾にあるといいます。

 

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その後、東京の築地への移転を経て、現在の土地に新しいキャンパスを開いたのは明治20年のことです。

 

開校時の第一期生の一人に自然主義文学の先駆者として知られる島崎藤村がいました。

 

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藤村は小説『桜の実の熟す時』のなかで学院生活を描写しており、インブリー館は「亜米利加人の教授達の住居」である「三棟並んだ西洋館」のうちの一つとして登場します。

 

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このようにインブリー館は、学院の創設期にまでさかのぼる貴重な建物で、宣教師のための住居として建てられました。


竣工は明治22年ごろといわれ、東京に残る最古の宣教師館です。

設計者は残念ながらわかりませんが、建設にあたって新潟出身の大工が関わったことが知られています。

 

建設当初は別の宣教師が住んでいましたが、明治31年から、プリンストン大学、プリンストン神学校を卒業後に明治学院神学部教授として来日したインブリーが住みはじめ、大正11年まで暮らしました。

 

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【インブリー-Imbrie, Willam- 1845~1928】

 

このため、この建物はインブリー館と称されます。

その後は事務室として使用されたり、戦後の混乱期には屋根裏部屋まで使い数世帯が居住したりしながら、現在は学院牧師室などに使用されています。


建物は木造2階建て、寄棟造り、銅板葺きで、四面に切妻を見せます。

 

外観は下見板張りに1階と2階のあいだに幅広のボーダーをまわしたシングル(板張り)スタイルと呼ばれるデザインで、日本の木造洋風建築によくみられる意匠です。

 

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これは、もともとは19世紀後半のアメリカの住宅を中心に流行したものです。


建物外観では、各面にある妻と外壁に注目したい。


妻は通常の下見板張りではなく、下端をギザギザに切り込んだ板を張っています。

 

さらに、2階の窓の上部を放射線状にしたり、壁によって下見板の板幅を変えたりと、デザインが単調にならないようさまざまな工夫が凝らされています。

 

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こうした手法は、本家アメリカのシングルスタイルによく見られ、日本の単調な下見板張りに比べ、バリエーションに富んでいます。

 

正面左寄りに小振りな玄関ポーチがあり、そこからなかに入ります。

 

玄関には2つの扉があり、ホールと応接室にそれぞれつながっています。

 

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玄関から直接応接室に入ることができるのは、宣教師が接客のための建物として使われたからだと思われます。

 

暖炉のある大きなホールには2階へ続く階段と、1階のそれぞれの部屋につながるドアが並んでいます。


2階も1階と同様に階段ホールの周囲に各室を並べているが、プライベートゾーンとみられ、南側と北側にサンルームを設けています。

 

ちなみに建物内部には台所がありませんが、これはかつてあった別棟の2階建ての付属室がこうした機能をもっていたからです。

 

各室の内装は、漆喰仕上げの壁に腰板やボーダーをまわしたシンプルなもので、天井は蛇腹付きの漆喰塗り。

 

壁の漆喰を白・灰・黄と3色に塗り分けていることや、寄木細工の床のパターンを各室で変えることなどにデザイン上の特色があります。

 

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このインブリー館は外国人住居の使用が純粋にあらわれています。

 

つまり和室を一切もたず、基本的に建物内外は和風のデザインがありません。

 

また、間取りの点でも廊下がなく、ホールを中心に各部屋へとつながっていることも特徴として挙げられます。


扉の握り玉など、建物金物のなかには輸入品が使用されているものもありますが、外壁の下見板をはじめ、建具や床の寄木張り、ペンキやワニスなどの塗装も基本的に国産の材料を用い、日本大工によって洋風建築の技法が再現されました。


明治学院のキャンパスには、インブリー館に遅れて建設された旧神学部校舎兼図書館(現記念館)、チャペルなども残っており、この一画だけ明治にさかのぼったかのような、レトロな雰囲気を漂わせています。

 

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実は、これら3棟は戦後のキャンパス計画のなかで、現在の場所に集められたものなですが、こうして、最古の歴史を誇る私学の創建時の雰囲気を今に伝えてくれることは、大変意義深いことと思います。