読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

日本のすばらしい建築物

日本に現存するすばらしい建築物を紹介するブログ

三井八郎右衛門邸

こんにちは、ニュースレター作成代行センターの木曽です。

 

みなさんは、三井グループのルーツについてご存知ですか?

 f:id:sumai01:20150707173315g:plain

※三井グループのシンボルマーク「丸に井桁三」

三井家の家祖・三井高利が天和元年(1681)頃、越後屋の暖簾に使用したのが始まりとされる。

 

三井といえば、岩崎家(三菱)と並び称せられる日本の世界的大富豪です。

 

江戸時代から戦前いっぱい、およそ300年間を通してのお金持ちを挙げるとすれば、三井家でしょう。

 

江戸時代からの富の蓄積で考えると岩崎家(三菱財閥)でさえ勝負にならないのではないでしょうか。

 

三井グループの祖、三井高利は元和8年(1622)、現在の三重県松阪市に生まれ、14歳で江戸に奉公に出るまでをこの地で過ごしました。

f:id:sumai01:20150707175205g:plain

【三井高利】・・・「遊芸に気を入申事無之、一生商の道楽」
(商売以外は興味を持たなかった合理的な人間と評されることもあるが、家族との書簡からは暖かい人柄もうかがえる。)

 

商才はもちろん天性のものでしたが、当時の松阪の地域性と家庭環境があってこそ育まれたとも言えます。

 

高利の祖父である三井高安は、もとは近江の国(現在の滋賀県)、鯰江(なまずえ)の武士でした。

 

守護大名の六角氏(近江源氏と呼ばれた佐々木四家のうちのひとつ)に仕えていましたが、六角氏は永禄11年(1568)に織田信長の上洛軍と戦って敗れ、逃亡します。

 

六角氏とともに信長と戦った三井高安も、やむなく伊勢の地に逃れていき、それが後の三井と松阪の縁となりました。

 

三井家の本邸は江戸時代は京都にあり、江戸の駿河町、今の三井本館と三越デパートのあるところに、両替と呉服の店を開き、江戸での住まいとしては、店の奥に設けられた住宅部分を使っていました。

f:id:sumai01:20150707181231g:plain

駿河町通りの左は三井越後屋(綿麻売場)で日本橋三越本店となる
右は三井越後屋(絹売場)から為替バンク三井組より三井本館となる

 

明治維新の戦争の時、官軍と幕府の両方に軍資金を渡して時代の激動をくぐりぬけました。

 

しかし、その戦争で三井家の蓄えのほとんどを使ってしまったため、お家再興の緊急事態に対処すべく、総領家(北家)はじめ当時の三井八家すべてが東京に上りました。

 

その後、三井は近代化に成功して、明治39年に第10代三井総領家当主・三井八郎右衞門高棟は麹町から麻布の今井町へと移ります。

 

 

f:id:sumai01:20150707182430g:plain

 

太平洋戦争敗戦後GHQによって三井財閥は解体され、三井家旧本邸の跡地は接収されます。

 

f:id:sumai01:20150707184304g:plain

※麻布今井町の位置

 

講和条約発効により日本が主権を回復した昭和27年(1952)、旧三井財閥の総帥でもあった第11代三井八郎右衛門高公(1895~1992)は近隣の麻布笄町(現港区西麻布三丁目)に場所を移して本邸を再建しました。

 

なお麻布今井町の旧邸跡は現在、米国大使館の宿舎となっています。

f:id:sumai01:20150707185051g:plain

※眼下にある面白い形をした建物は、アメリカ大使館宿舎です。

 

今回は、三井高公が、戦災で焼失した旧本邸に代わる新本邸として敗戦後、旧本邸の焼け残りに京都、大磯など各地の別邸の部材を集めて再建した「旧三井八郎右衛門邸」を紹介します。

 

f:id:sumai01:20150707191621g:plain

本邸の再建に際しては、主に京都の油小路邸の奥座敷や大磯別邸(城山荘)の部材を用い、旧今井町邸からは焼け残った土蔵や正門、庭石等が、また世田谷区用賀にあった三井家関連施設からも部材が集められました。

 

しかしこの邸宅は、世代が変わる毎に個人財産は分散させられるように仕向けられている現行税制の下、三井高公氏一代限りで終わることになります。

 

平成4年に三井高公氏が死去すると、都心の超一等地にある大邸宅(旧今井町邸に比べたら小規模なものですが)は莫大な相続税が課せられ、敷地は売却、邸宅は規模を縮小して主要部のみ庭石や正門等と共に江戸東京たてもの園に移築されました。

f:id:sumai01:20150707192100g:plain

なお移築前の母屋は、写真の土蔵が写っているあたりまでの規模がありました。

 

2階のガラス戸が明治の大型和館の姿をよく伝えています。

 

右手に出張るのが大磯から移した望海床です。

 f:id:sumai01:20150710091915g:plain

それでは、中に入ってみましょう。

 

明治に造られた旧油小路邸の部材が使われている玄関。

f:id:sumai01:20150710091353g:plain


旧油小路邸は明治23年(1890)に、二条城に近い現在の京都市中京区油小路に建てられ、先代当主の10代高棟も設計に関わったとされてます。

現代の一般住宅と比べても少々広い位の規模です。

 

京都風にやや繊細な造りになっています。

 

玄関に2つある照明は、旧朝香宮邸の装飾でも知られるフランス人ガラス工芸作家、ルネ・ラリックの制作によるものです。

 

f:id:sumai01:20150710092837g:plain f:id:sumai01:20150710093121g:plain

ラリックならではの型押しガラスが美しい優品ですね。

 

玄関脇にある和室は、旧大磯別邸で「望海床」と名付けられていた座敷を接続したもので、趣味人であった10代高棟の画室として使われていた部屋。

f:id:sumai01:20150710093441g:plain

大磯時代は床にオンドル式の暖房設備があったといいます。
床の間や建具などに趣向を凝らした座敷です。

 

f:id:sumai01:20150710094306g:plain

一見廊下のようですが、これは外に面する縁側(広縁)に当たる部分です。

畳の上に絨毯が敷かれ、天井は格式の高い格天井。奥には櫛形窓が配されています。ここは京都・油小路邸から移築された部分で、桂離宮をデザインモチーフにしたと思われているようです。

 

f:id:sumai01:20150710094934g:plain

縁側及び、客間と食堂から構成される書院部分は柱から建具、天井まで旧油小路邸の部材で構成され、玄関まわりに見られた昭和戦後のモダンさはなく、明治の重厚さが溢れる空間になっています。

 

f:id:sumai01:20150710095329g:plain

草花の画が描かれた格天井。

 

f:id:sumai01:20150710095830g:plain

客間とは襖で仕切られた食堂。

客間や食堂の襖や障子、戸袋に描かれた絵の多くは、森寛斎など四條円山派の画家の手によるものです。

 

f:id:sumai01:20150710100233g:plain

一転してモダンな雰囲気に変わるのが、昭和27年新築部分である台所。

 

2階に上がってみると、いきなり廊下の奥にある豪勢なシャンデリアが目に飛び込んできます。

f:id:sumai01:20150710100539g:plain

これは日本初の銀行である第一国立銀行にふたつあったシャンデリアの片方です。

もともと第一国立銀行は、三井(と小野)による私設金融機関として設立されて、日本橋兜町の三井組ハウス(施工は清水建設の前身、2代目清水喜助)で営業を始め、国立銀行条例施行後に国に移管されたものです。

三井組ハウスは1897(明治30)年に取り壊されましたが、その際にシャンデリアを引き取って保存したのでしょう。

ここに移る前は、大磯の別荘「城山荘」で使われていました。

大磯時代は3階ぐらいの高さを持つ吹き抜けの居間に下がっていたのですが、ここでは高さが足りないので、この部分だけ二重折上格天井(にじゅうおりあげごうてんじょう)という、最高級の格式を持つ天井になっています。

 

f:id:sumai01:20150710112322g:plain

仏間は代々の三井家当主が作った焼き物やふすま絵、剪綵(せんさい。色糸の刺繍や絹の裂をパッチワークした手芸の一種)の天井画で飾られた、華麗な空間です。

 

二階には仏間の他座敷二間が保存されているが、これは旧油小路邸の座敷を移築したものです。


旧油小路邸の奥書院では田の字型に座敷が配されていたが移築に際して分離、それぞれ階上と階下に分けて一階は客間及び食堂に、二階は高公夫妻の居室や寝室として使われました。

 

f:id:sumai01:20150710112747g:plain

三井高公氏が晩年まで使っていたというベッド。

高公氏は1992(平成4)年、このベッドで亡くなったそうです。

 

時代に翻弄されて、再三にわたり流転を重ねその都度規模を縮小し、野外博物館の一展示物として辛うじて生き永らえている現在の旧三井邸は、かつての三井財閥の面影はありません。

 

しかし将来、時代が変わり三井グループの繁栄を夢見て、ひっそりと歴史の遺産として佇む姿に、感慨を覚えるのは私だけでしょうか。